大嘗祭(読み)ダイジョウサイ

デジタル大辞泉 「大嘗祭」の意味・読み・例文・類語

だいじょう‐さい〔ダイジヤウ‐〕【大×嘗祭】

天皇が即位後初めて行う新嘗にいなめ。その年の新穀を天皇が天照大神あまてらすおおみかみおよび天神地祇に供え、自らも食する、一代一度の大祭。祭場を東西2か所に設け、東を悠紀ゆき、西を主基すきと称し、神に奉る新穀をあらかじめ卜定ぼくじょうしておいた国々の斎田から召した。おおなめまつり。おおにえのまつり。だいじょう。

おおなめ‐まつり〔おほなめ‐〕【大×嘗祭】

だいじょうさい(大嘗祭)

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共同通信ニュース用語解説 「大嘗祭」の解説

大嘗祭

大嘗祭だいじょうさい 即位した天皇が初めて行う特別な新嘗祭にいなめさいを指す。天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、自らも口にして国と国民の安寧と五穀豊穣ほうじょうを祈るとされる。一代に一度限りの皇位継承に伴う重要な宮中祭祀さいしの一つ。飛鳥時代天武天皇のころに整備されたとされる。2019年の令和の代替わりでは、皇居・東御苑に特設された大嘗宮で中心儀式「大嘗宮の儀」が営まれた。

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精選版 日本国語大辞典 「大嘗祭」の意味・読み・例文・類語

だいじょう‐さいダイジャウ‥【大嘗祭】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 天皇が即位の後、初めて行なう新嘗(にいなめ)の祭。その年に新たに収穫された穀物を、天皇みずから、祖神天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ天地のよろずの神々にさし上げる一代一度の大礼。祭に用いられる新穀は、あらかじめ卜定(ぼくじょう)された悠紀(ゆき)、主基(すき)の国から奉られ、祭の日の夜、天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿ついで主基殿で、これを神に供え、みずからも喫する。即位後必ず行なわれるから践祚大嘗祭ともいい、一世一度の新嘗であるから大新嘗(おおにいなめ)ともいう。儀式は、受禅即位が七月以前ならばその年の、八月以後ならば翌年の、諒闇登極(りょうあんとうきょく)の場合は諒闇後の、一一月の下の卯の日(三卯ある時は中の卯の日)より始まり、辰の日の悠紀節会、巳の日の主基節会、午の日の豊明節会にいたる四日間にわたって行なわれる。辰の日以後は諸臣と饗膳を共にする節会である。後柏原天皇以後中絶し、東山天皇の時に再興されたが、中御門天皇の時は行なわれず、桜町天皇の時、復興されて現在に至っている。大嘗会(だいじょうえ)。おおにえのまつり。《 季語・冬 》 〔儀式(872)〕
  3. しんじょうさい(新嘗祭)
    1. [初出の実例]「朱云。下卯大嘗祭。〈略〉毎年毎世大嘗。並此日可祭。但毎世大嘗祭年者。毎年大嘗不祭也」(出典令集解(868)神祇)

おおなめ‐まつりおほなめ‥【大嘗祭】

  1. 〘 名詞 〙おおにえ(大嘗)の祭

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改訂新版 世界大百科事典 「大嘗祭」の意味・わかりやすい解説

大嘗祭 (だいじょうさい)

おおにえのまつり,践祚(せんそ)大嘗祭,大嘗会(だいじようえ)などともいう。古代から続く天皇即位の儀式。天子が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭(にいなめさい)といい,それとほぼ同じ内容を,天子一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭である。古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。〈新嘗〉と区別した語としての〈大嘗〉は《日本書紀》天武2年(673)にみられるが,祭りそのものは古代の王権の歴史とともに古いはずで,さらにその淵源を農村の収穫儀礼や成年式に求めることができる。

 大嘗祭は平安朝期に各種の宮廷儀礼が肥大・分化してゆくなかで荘厳化され,《貞観儀式(じようがんぎしき)》(871ころ),《延喜式(えんぎしき)》(927),《江家次第(ごうけしだい)》(1111)などに,その施行の細部が規定あるいは記録されるようになった。これらによる大嘗祭の大略は次のようである。(1)即位の年の4月,悠紀(ゆき)国・主基(すき)国(悠紀・主基)の卜定。(2)大嘗祭の年8月,大祓(おおはらえ)。(3)9月,悠紀・主基両国の神田からの抜穂。(4)10月,天子の御禊(みそぎ)。(5)11月上旬,大嘗宮の設営。(6)11月の中の寅の日,鎮魂祭(ちんこんさい)。(7)同卯の日の夜半より翌朝まで,大嘗宮の儀。(8)同辰の日,辰日の節会(せちえ)。(9)同巳の日,巳日の節会。(10)同午の日,豊明(とよのあかり)節会。終始7ヵ月にわたって行われるが,この祭りの核心をなすのは(7)大嘗宮の儀である。大嘗宮は黒木(皮つきの丸木)で新造された悠紀・主基の両殿から成り,それぞれに同じく〈神座(かみくら)〉〈御衾(おぶすま)〉〈坂枕(さかまくら)〉などが設けられて,悠紀殿ついで主基殿の順で天子による深更・徹宵の秘儀が行われた。秘儀だけにその詳細は知りがたいが,内部の調度より推定すれば,天子はそこに来臨している皇祖神,天照大神(あまてらすおおかみ)と初穂を共食し,かつ祖霊と合体して再生する所作を行ったらしい。聖別された稲を食することで天子は国土に豊饒を保証する穀霊と化し,さらに天照大神の子としての誕生によって天皇の新たな資格を身につけたものと考えられる。

 また大嘗祭の施行は,新天子の登極(即位)が7月以前ならばその年に,8月以降ならば翌年に行うことを例とする。これは上述したようにこの祭りが稲の生育・収穫に時を合わせているからで,ここにこの祭りの農業祭的性格の一端がある。つまり記紀神話にいう〈豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)〉の豊饒霊たるべく天子みずからの行う死と復活の儀式が大嘗祭であり,それは村落レベルでの稲の収穫祭の宮廷的・政治的一集約でもあった。

 こうした古代王権の魔術というべき大嘗祭は記紀,とくに《古事記》の神話と密接な関連をもつ。祭式における〈語り〉の展開形態が神話であり,また神話の祭式的実行が大嘗祭であったはずで,両者の対応は,とりわけ大嘗宮の秘儀と天孫降臨神話の相即したあり方でたしかめることができる。8世紀はじめの記紀の成立が祭式と神話の分離という事態を示しており,爾後の大嘗祭はしだいに儀礼的肥大を遂げてゆく。しかし王権の消長とかかわりつつ,16世紀初頭の後柏原天皇のときに中絶,17世紀末の東山天皇のさいの復活とその後の中絶をへて,18世紀中葉の桜町天皇のときに再興され,明治,大正,昭和の現代に至っている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大嘗祭」の意味・わかりやすい解説

大嘗祭(だいじょうさい)
だいじょうさい

天皇が即位ののち初めて新穀を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ天神地祇(てんじんちぎ)に奉り、自らも食す祭りのことで、天皇一世一度の最大の祭り。「おおにえのまつり」「おおむべのまつり」ともよび、践祚(せんそ)大嘗祭ともいう。毎年11月その年の新穀を神に捧(ささ)げ、自らも食す新嘗(にいなめ)祭のことを、古く毎年の大嘗と称したのに対し、毎世の大嘗といった。この祭りを斎行することで、新しい天皇が真の天皇となると信仰されてきた。律令(りつりょう)の整備とともに、その次第等について詳細に規定されたが、延喜(えんぎ)の制で大祀(たいし)とされたのはこの祭りのみである。

 その延喜式を中心としてみるに、天皇の即位がその年7月以前の場合はその年に、8月以後の場合は翌年に行われることとなっており、その年に所司にまずその祭りに供する稲を出す悠紀(ゆき)・主基(すき)の国郡(こくぐん)を卜定(ぼくじょう)させる。古くは広くこの国郡を卜定したが、中世以降近江(おうみ)国が悠紀、丹波(たんば)・備中(びっちゅう)国が交互に主基とされ、郡をその国内で卜定してきた。そのあと8月上旬に大祓使(おおはらえし)を卜定し、左右京に1人、五畿内(ごきない)1人、七道に各1人を差し遣わし、下旬にさらに祓使を遣わして祓った。それが終わって、伊勢(いせ)の神宮以下諸国の天神地祇に幣帛(へいはく)を供し、そのことを告げ、10月下旬に天皇は川に臨み御禊(ぎょけい)したが、平安中期以降それは賀茂(かも)川に一定、江戸中期以降宮城内となっていた。11月となり、その1日より晦日(みそか)まで散斎(あらいみ)とされ、その祭儀の行われる卯日(うのひ)の前丑(うし)日より3日間は致斎(まいみ)とされ、穢(けが)れに触れることを戒めた。一方で8月下旬に抜穂使(ぬきほし)を卜定し斎国(いつきのくに)に遣わし、使はその国に至って斎田(さいでん)、斎場雑色人(ぞうしきにん)らを卜定し、9月になり稲穂を抜き取り、その初めに抜いた四束を御飯(みい)として、あとを黒酒(くろき)・白酒(しろき)として供することとし、9月下旬斎場院外の仮屋に収めた。また悠紀・主基の斎場を設けたが、そこに神供(しんく)、神酒、調度などを調理製作する諸屋を設備した。そして、祭りの7日前より大嘗宮をつくり始めるが、悠紀殿・主基殿の二殿からなり、5日以内につくり終える。祭り当夜、天皇は廻立殿(かいりゅうでん)に渡御、小忌御湯(おみのおゆ)で潔斎、斎服をつけ、悠紀殿に入り神饌(しんせん)を神に供し、告文(こうもん)を奏し、次に神と直会(なおらい)をされる。あと廻立殿に帰り、ついで主基殿に入り悠紀殿と同じ次第のことをされる。あと辰(たつ)日に中臣(なかとみ)氏が天神寿詞(あまつかみのよごと)を奏する行事、巳(み)日に和舞(やまとまい)・風俗舞などがなされ、午(うま)日に五節(ごせち)舞などがなされた。それ以後多少の変化を加えられ、また戦国時代に延引または行われなかったこともあるが、天皇皇位に関する重要祭儀として継承されてきた。

[鎌田純一]

『荷田在満著『大嘗会便蒙』『大嘗会儀式具釈』(1740)』『田中初夫著『践祚大嘗祭の研究』(1983・木耳社)』


大嘗祭(おおにえのまつり)
おおにえのまつり

大嘗祭

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百科事典マイペディア 「大嘗祭」の意味・わかりやすい解説

大嘗祭【だいじょうさい】

〈おおにえのまつり〉とも。天皇が即位の後,初めて行う新嘗(にいなめ)祭を呼ぶ。天武天皇の時から大嘗祭を例年の新嘗祭と区別したと伝える。その祭儀は絶えることが多かったが,18世紀中葉の桜町天皇以後は復活され,現代に至っている。
→関連項目語り部斎戒践祚豊明節会新嘗福田歓一奉幣真床追衾

大嘗祭【おおにえのまつり】

大嘗祭(だいじょうさい)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大嘗祭」の解説

大嘗祭
だいじょうさい

天皇の即位後,はじめて新穀を天照(あまてらす)大神や天神・地祇に供える儀式。即位が7月以前ならばその年の,8月以降であれば翌年の11月に行われる。あらかじめ新穀を供出する悠紀(ゆき)国・主基(すき)国を卜定(ぼくじょう)するが,悠紀国は近江,主基国は丹波または備中の場合が多い。8月に悠紀国・主基国へ抜穂使(ぬいぼのつかい)が派遣され,斎郡(ゆぐん)の大祓(おおはらえ)を行い,斎田(ゆでん)の側に稲実殿(いなのみどの)をたてて抜穂祭を行う。9月に収穫された稲が京に運ばれる。天皇は10月に賀茂川へ行幸して大嘗会御禊(ごけい)を行い,精進潔斎に入る。11月上旬に大嘗宮が造営され,卯の日を迎える。悠紀の神事では,天皇は廻立(かいりゅう)殿で沐浴して悠紀殿に入る。この際に国風(くにぶり)や隼人の歌舞などが行われる。中心となるのは,神饌(しんせん)を悠紀殿に運んで神に供えるとともに天皇も食べる神饌親供(しんぐ)の儀。つづいて同様の儀が主基殿でもある。2日目の辰の日から3日間は豊楽(ぶらく)殿において節会(せちえ)が催され,4日目午の日に行われるのが豊明(とよのあかり)節会である。11月晦日の大祓をもって,すべての儀式が終了する。大嘗祭は中絶していた時期もあるが,江戸中期の桜町天皇の代に復興し,現在に至る。

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知恵蔵 「大嘗祭」の解説

大嘗祭

天皇が即位後初めて行う新嘗(にいなめ)祭。新嘗祭は、収穫を祝い五穀豊穣(ほうじょう)を祈る式典で、その年の新穀を神に供えて天皇自らも食す行事。中世に一度途絶えたが、その後復活した。明治以後、新嘗祭の祭日は11月23日と定められ、1948年以後、現在の勤労感謝の日として受け継がれている。
大嘗祭は、旧皇室典範には記されていたが、47年に日本国憲法と同時に施行された現在の皇室典範には定めがない。また、宗教性の強い儀式であるとして、政教分離の観点から国費で行うことを疑問視する意見もある。90年の前回は、国から皇室の公的活動に支出される宮廷費約22億5000万円が使われた。法的根拠を持たない大嘗祭の実施に批判的な声も多く、日本弁護士連合会会長やキリスト教系大学の学長らによる声明や、国費の支出などを違憲とする訴訟が相次いだ。
今回は、2019年11月14日から15日に予定されており、政府は「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めている。これに対して、秋篠宮さまが、国費で行うべきではないとの考えを宮内庁長官らに伝えたが検討されなかったことを、18年の誕生日を前に行った会見で明らかにした。

(原田英美 ライター/2019年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大嘗祭」の意味・わかりやすい解説

大嘗祭
だいじょうさい

「おおにえのまつり」とも読み,大新嘗ともいう。天皇が即位後最初に皇祖および天神地祇 (てんしんちぎ) に新穀を供え,これを食べる儀式。一世一度の新嘗 (にいなめ) 。即位式が7月以前ならば年内に,8月以降ならば翌年に行うことが,平安時代に定められた。まず,神饌を出す国郡の卜定 (近江と丹波,備中は交互) が行われ,抜穂 (ぬきほ) 行事,御禊 (みそそぎ) などの準備を経て,悠紀 (ゆき) ,主基 (すき) ,回立 (かいりゅう) 殿から成る大嘗宮の儀,辰日,巳日,午日 (豊明節会 ) などが行われる。平安時代も,大極殿焼亡以前が最も盛んで,以後次第に衰え,後土御門天皇のときに行われてから 222年間中絶し,東山天皇のときに再興,中絶ののち,桜町天皇以後は代々行われた。

大嘗祭
おおにえのまつり

大嘗祭」のページをご覧ください。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大嘗祭」の解説

大嘗祭
だいじょうさい

天皇即位後,初めて天照大神 (あまてらすおおみかみ) と天神・地祇に新穀を供える儀式
「おおにえのまつり」「おおなめまつり」とも読む。一世一度の大祭で即位直後に行われることから践祚 (せんそ) 大嘗祭ともいう。卜定 (ぼくじよう) された悠紀 (ゆき) ・主基 (すき) の2国からの新穀を供えた。中世に断絶していたが,江戸時代に復興し現在に至る。

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世界大百科事典(旧版)内の大嘗祭の言及

【稲作文化】より

…この呪術的儀礼が宮廷儀礼のなかに取りこまれて,国王の即位式に転化している場合がある。日本の大嘗祭をこのように位置づけても誤りではないであろう。魂の再生についての稲作民族の伝統的な生命観,霊魂観に由来するものである。…

【温泉】より

…同じく《日本書紀》や,また《万葉集》や《続日本紀》によると欽明,舒明,斉明,天智,天武,持統などの天皇がそれらの温泉地に行幸したという。それがたんなる慰安の旅にとどまるものでなかったことは,たとえば新嘗祭や大嘗祭において天皇が廻立殿で湯あみをするならわしであったこととくらべるとき明らかになる。神と共饗共寝するこの宮廷儀礼では,天皇は湯に入ることによって禊祓をし新たな心身状態へのよみがえりを準備しなければならなかったからである。…

【記紀歌謡】より


[内容と特性]
 記紀歌謡の大半は7~8世紀の宮廷のしかるべき機会に誦詠されたもので,個々の歌にはそれ相当の由緒・縁起が伴われていた。たとえば上記の〈八千矛の神の歌〉(神語)は大嘗(だいじよう)祭,新嘗(にいなめ)祭の〈豊明(とよのあかり)〉(無礼講的饗宴)で演じられたが,その多分に性的で滑稽な表現が宴の歓楽に即しているとともに,男女の神による〈烏滸(おこ)〉のしぐさにはまた多産・豊饒をもたらす魔術的意義が含まれていたであろう。こうした性愛にかかわる歌が少なからず見えるのも同じ理由にもとづく。…

【米】より

…宮廷において天皇の行う最重要の祭政は,高天原から中津国にもたらされた稲の種子を奉じて,それをあやまりなく栽培することであり,祈年祭は米の豊作の祈願であり,新嘗祭は収穫のよろこびの奉告であった。また天皇の代替りに行われる大嘗祭は,米の霊的力によって皇太子が天皇としての霊魂を聖体に鎮ませる儀式であった。 米が天皇をはじめとする人々の霊魂を再生復活させる力をもつ食べ物であるという信仰は,民俗としてはさまざまな形で伝えられている。…

【斎場】より

…祭礼行事のため,常設あるいは臨時に設けられる清浄な場所。大嘗祭(だいじようさい)の斎場,吉田神社の斎場所などが有名である。大嘗祭では悠紀(ゆき),主基(すき)の両斎国よりもたらされる稲穀や他の国々から献上される由加物などを納入する所を斎場という。…

【天孫降臨神話】より

…この〈神聖な〉由来をもって,以後代々の〈日の御子〉による葦原中国の統治は,絶対おかすべからざるものとなったとされる。 この話が王の即位儀礼大嘗(だいじよう)祭を鋳型としていることはたしかである。儀礼用の殿舎大嘗宮内での秘儀は,あたかも新王が高天原でアマテラスの子として誕生するドラマのごとく演じられたようである。…

【天皇】より

初穂の儀礼にもとづく租の徴収と正税出挙(しようぜいすいこ),共同体成員である平民(自由民)の義務としての調,庸や軍役等の負担は,もともとオホヤケといわれた首長への奉仕の形で行われていたが,天皇はそうしたすべての平民の首長として,班田制を通じてこれらの貢納,軍役を組織化した。また,首長の主宰する共同体の農耕儀礼,穀霊・祖霊に対する祭りも,天皇の即位儀礼としての大嘗祭(だいじようさい)をはじめとする祭祀,宮廷の年中行事に吸収されたのである。このように天皇は平民の全共同体の首長,オホヤケ(公)として,姓をもつことなく,暦,元号を制定し,時間の支配者の立場に立ちつつ,位階によって支配層を秩序づけていた。…

【瓊瓊杵尊】より

…このことと関連するのが《日本書紀》本文にある,高皇産霊(たかみむすひ)尊がニニギを真床追衾(まどこおうふすま)なるもので覆って天降らせたという記述である。真床追衾は大嘗祭(だいじようさい)の儀式で天皇がふす衾と関係する。宮廷では11月の卯の日に大嘗殿で新しい天子となるための秘儀がとり行われるが,その際に新王は〈天の羽衣〉なるものを着て湯浴みした後に,悠紀(ゆき)・主基(すき)正殿で新穀を食して神座に設けた衾(寝具)にふすという(《西宮記》《江家次第》)。…

【年中行事】より

… 北半球の温帯域では,だいたい冬至を新年の基準にしている。おもな作物の収穫後に新年を置く暦法で,日本古来の新年も,大嘗祭(だいじようさい)の日であったらしい。大嘗祭が天皇の即位儀礼の日でもあったのは,アジアの古代国家で新年に帝王の即位儀礼を行ったのに合う。…

【御神楽】より

…現行御神楽の原形である〈内侍所(ないしどころ)の御神楽〉は,《江家次第》《公事根源》等によれば,一条天皇の時代(986‐1011)に始まり,最初は隔年,白河天皇の承保年間(1074‐77)からは毎年行われるようになったという。これより古くから宮中で行われていた鎮魂祭,大嘗祭(だいじようさい)の清暑堂神宴,賀茂臨時祭の還立(かえりだち)の御神楽,平安遷都以前から皇居の地にあった神を祭る園韓神祭(そのからかみさい)等の先行儀礼が融合・整理されて,採物(とりもの),韓神,前張(さいばり),朝倉,其駒(そのこま)という〈内侍所の御神楽〉の基本形式が定まり,以来人長(にんぢよう)作法,神楽歌の曲目の増減等,時代による変遷はあったものの,皇室祭儀の最も重要なものとして,よく古式を伝えて今日にいたっている。 御神楽は夕刻から深夜にかけて,神前の庭に幕を張って楽人の座を設け,庭火を焚いて座を清め,これを明りとして行われる。…

※「大嘗祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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