安藤和風(読み)アンドウ ワフウ

20世紀日本人名事典 「安藤和風」の解説

安藤 和風
アンドウ ワフウ

明治〜昭和期のジャーナリスト,俳人,郷土史家 秋田魁新報社長。



生年
慶応2年1月12日(1866年)

没年
昭和11(1936)年12月26日

出生地
出羽秋田(秋田県秋田市)

別名
幼名=国之助,別号=時雨庵

学歴〔年〕
秋田県立太平学校中学師範予備科〔明治12年〕中退,東京商業学校卒

経歴
明治15年秋田青年会を結成し自由民権運動に参加。「秋田日日新聞」「秋田日報」の記者となるが、16年筆禍事件により下獄、22年に上京して商店、県庁、銀行などに勤める。31年秋田魁新報入社、35年主筆となり、大正12年常務、昭和3年社長に就任。この間、明治32年秋田市議に当選。一方、俳句の研究・創作、郷土史(秋田県史)研究にも情熱を傾けた。著書句集「仇花」「旅一筋」「朽葉」、「俳諧研究」「俳諧新研究」「俳諧奇書珍書」、「秋田 土と人」「秋田勤王史談」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「安藤和風」の解説

安藤和風

没年:昭和11.12.26(1936)
生年:慶応2.1.12(1866.2.26)
明治大正昭和期の新聞記者,経営者。秋田藩士安藤和市,イクの長男。幼名は国之助。明治17(1884)年,和風改名。「わふう」という読みは通称。楢山学校,県立秋田太平学校中学師範予備科,講習学舎に学ぶ。『秋田日日新聞』『秋田日報』の記者を経て,31年秋田新報社へ入社。翌年には,秋田市会議員に補欠当選する。34年,『秋田魁新報』記者となり,大正12(1923)年常務取締役,昭和3(1928)年に社長となった。俳諧の研究書や句集を多く著し,郷土史研究にも情熱を傾けた。著書に『俳諧研究』,句集『旅一筋』,『秋田の土と人』などがある。<参考文献>秋田魁新報社編『新聞人・安藤和風』

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安藤和風」の解説

安藤和風 あんどう-はるかぜ

1866-1936 明治-昭和時代前期の新聞人,俳人。
慶応2年1月12日生まれ。明治15年秋田日報に入社。のち自由民権運動に参加。31年秋田魁(さきがけ)新報にはいり,主筆兼常務取締役をへて昭和3年社長。また俳人としても活躍した。昭和11年12月26日死去。71歳。出羽(でわ)秋田出身。私立東京商業卒。幼名は国之助。号は和風(わふう),柳外,時雨庵。句集に「旅一筋」「くち葉」など。
格言など】落ちし皿破(わ)れしかに響く寒さ哉(辞世)

安藤和風 あんどう-わふう

あんどう-はるかぜ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「安藤和風」の解説

安藤 和風 (あんどう わふう)

生年月日:1866年1月12日
明治時代-昭和時代のジャーナリスト;俳人。秋田魁新報社長
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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