小中華思想(読み)しょうちゅうかしそう

改訂新版 世界大百科事典 「小中華思想」の意味・わかりやすい解説

小中華思想 (しょうちゅうかしそう)

朝鮮の儒者たちが,朝鮮を中国と文化的同質性をもった〈小中華〉と自負し,他を夷狄視した思想。本来は孔子の《春秋》における〈尊中華・攘夷狄〉の尊華攘夷思想に由来する。李朝前期には朝鮮にとって明は〈大中華〉であり,〈以小事大(小を以て大に事(つか)える)〉の事大=宗属関係があったが,女真族=清が明を滅ぼし,1627年,36年に朝鮮に侵入すると(丙子の乱),政治的には清との事大=宗属関係を維持しながら,精神的には中国は夷狄化したとし,朝鮮を唯一の小中華として自負した。とくに孝宗(在位1650-59)の治世期には宋時烈らによる尊明排清の北伐論が起こり,それ以来清を夷狄視し,さらに近代に入っては西洋=洋夷,日本=倭夷に対する鎖国攘夷の思想(衛正斥邪)として発展した。18世紀後半期における朝鮮実学の北学派は,たとえ夷狄であっても,長所があれば師として学ぶべきだと主張し,小中華思想の枠組みから離れて世界をみようとした。
事大主義
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世界大百科事典(旧版)内の小中華思想の言及

【衛正斥邪】より

…朝鮮は明を大中華としてこれに服属していたが,1644年に明が清に滅ぼされると,三綱五倫の礼が行われているのは朝鮮朱子学を正学としている自国だけであると,小中華を自認した。清は政治的には朝鮮の宗主国だが,文化的には夷狄であり,朝鮮が小中華であるとする(小中華思想)。その結果,清の文化の受容を拒否し,ときには北伐論のように北の清を伐(う)とうとした議論も出た。…

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