山田美妙(読み)ヤマダビミョウ

デジタル大辞泉 「山田美妙」の意味・読み・例文・類語

やまだ‐びみょう〔‐ビメウ〕【山田美妙】

[1868~1910]小説家・詩人・評論家。東京の生まれ。本名、武太郎。尾崎紅葉らと硯友社を結成し、「我楽多文庫がらくたぶんこ」を編集。小説「武蔵野」「胡蝶」「夏木立」などにより、言文一致体先駆者となった。他に「平清盛」「日本韻文論」「日本大辞書」など。

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精選版 日本国語大辞典 「山田美妙」の意味・読み・例文・類語

やまだ‐びみょう【山田美妙】

  1. 小説家、新体詩人、評論家。東京出身。本名武太郎。尾崎紅葉らと硯友社を起こして「我楽多文庫」を発行。小説「武蔵野」「蝴蝶」などにより、言文一致体の先駆者と目された。東京アクセントガ行鼻音を注記した「日本大辞書」を編纂。著「夏木立」「日本韻文論」。慶応四~明治四三年(一八六八‐一九一〇

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百科事典マイペディア 「山田美妙」の意味・わかりやすい解説

山田美妙【やまだびみょう】

明治期の小説家,詩人。本名武太郎。別号,樵耕蛙船(しょうこうあせん)。東京生れ。大学予備門中退尾崎紅葉らと硯友社を結成して《我楽多文庫》を発行。《夏木立》(1888年)によって,二葉亭四迷とともに最初の言文一致体小説の実践者として知られる。小説《いちご姫》《平清盛》《蝴蝶》や新体詩,評論があり,辞典も編纂(へんさん)した。
→関連項目川上眉山硯友社新小説団団珍聞都の花

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改訂新版 世界大百科事典 「山田美妙」の意味・わかりやすい解説

山田美妙 (やまだびみょう)
生没年:1868-1910(明治1-43)

明治期の文学改良家,小説家,詩人。東京生れ。本名武太郎。別号は樵耕蛙船(しようこうあせん),飛影,美妙斎など。1885年大学予備門在学中に尾崎紅葉,石橋思案丸岡九華らと硯友社を結成,機関誌《我楽多(がらくた)文庫》に馬琴調の文体でアルフレッド大王伝を《竪琴草紙》としてつづった。しかし坪内逍遥の《小説神髄》の影響を受けるや,ただちに文学改良主義者に変身,言文一致論や韻律論(《日本韻文論》)を展開し,文学改良に情熱的に取り組んだ。小説,新体詩,文学理論などさまざまな分野に活躍したが,とくに口語体小説《武蔵野》(1887)や《蝴蝶》(1889)の成功は彼を一挙に流行作家に押し上げた。そのほか《以良都女(いらつめ)》や《都の花》の主幹をつとめるかたわら,演劇や辞書編集にも改良の腕を振るったが,才能が拡散,性格や私行に批判も集中し,文壇から遠ざかった。97年以降は《大辞典》(没後,1912刊)編集に専念したが,多くの社会小説,歴史小説も執筆した。
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20世紀日本人名事典 「山田美妙」の解説

山田 美妙
ヤマダ ビミョウ

明治期の小説家,詩人,国語学者



生年
慶応4年7月8日(1868年)

没年
明治43(1910)年10月24日

出生地
江戸・神田柳町

本名
山田 武太郎

別名
別号=樵耕蛙船,美妙斎,飛影,美妙子

学歴〔年〕
大学予備門(一高)中退

経歴
幼少時代から文学に親しみ、明治18年尾崎紅葉、石橋思案らと硯友社の創立に参加、「我楽多文庫」を編集し「竪琴草紙」を発表。19年共著「新体詞選」を刊行。20年言文一致体の「武蔵野」を発表し、好評を得る。21年短編集「夏木立」を刊行し、文壇的地位を確立。同年「都の花」の主幹となり「花ぐるま」「蝴蝶」「いちご姫」などを発表。一方、「言文一致論概略」「日本俗言文法論」など学究的な論文も発表。また24年新体詩上の新韻律法を「新調韻文青年唱歌集」で試みる。23年頃からは創作から遠ざかるが、25年から26年にかけて「日本大辞書」(全11冊)を編纂、刊行。その後の主な作品に「阿千代」「アギナルド」「桃色絹」「平重衡」「平清盛」などがある。34年から35年にかけて「言文一致文例」(全4冊)を刊行した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田美妙」の意味・わかりやすい解説

山田美妙
やまだびみょう
(1868―1910)

小説家、詩人、評論家。本名武太郎。東京生まれ。大学予備門中退。1885年(明治18)尾崎紅葉(こうよう)とともに硯友社(けんゆうしゃ)を結成し、『我楽多(がらくた)文庫』に小説を書き始めた。坪内逍遙(しょうよう)に影響され、あらゆるジャンルに文学改良を試みた。とくに言文一致の理論と実践や『日本韻文論』(1890~91)などの詩論に鋭い才能を示した。『以良都女(いらつめ)』や『都の花』などの編集にも力量を示したが、あまりに多方面に活躍しすぎたため、才能を放散する結果となり、小説家として成熟することなく終わった。晩年に至るまで執筆は続けたが、初期の『武蔵野(むさしの)』(1887)と『蝴蝶(こちょう)』(1889)以外みるべき作品は少ない。ほかに一貫してことばに関心を抱き、各種の辞書を編纂(へんさん)している。

[山田有策]

『塩田良平著『山田美妙研究』(1938・人文書院)』『『明治文学全集23 山田美妙・石橋忍月・高瀬文淵集』(1971・筑摩書房)』


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朝日日本歴史人物事典 「山田美妙」の解説

山田美妙

没年:明治43.10.24(1910)
生年:明治1.7.8(1868.8.25)
明治時代の小説家,詩人,評論家。本名武太郎。別号 樵耕蛙船,美妙斎,美妙子,飛影など。元南部藩士吉雄の子。江戸神田生まれ。島根県警部長となった父とは別居し,母よしと義祖母のもとで育つ。一高中退。大学予備門在学中の明治18(1885)年,尾崎紅葉らと硯友社を興し,機関誌『我楽多文庫』を創刊,「嘲戒小説天狗」(1886~87)で言文一致体を試みる。20年帝大文科大学への入学に失敗して文学への志を固め,婦人雑誌『いらつめ』を発行。21年「夏木立」で文壇での地位を確立,『都の花』主幹となり硯友社を離れる。『胡蝶』(1889)は渡辺省亭の裸体の挿絵とともに評判を呼び,また日本韻文論論争を行い『日本大辞書』(1892~93)を刊行するが,女性作家田沢稲舟との離婚後,稲舟の死をめぐる稲舟事件(1896)によって世間から排斥され,文壇を去る。<著作>『美妙選集』<参考文献>「山田美妙」(近代文学研究叢書11巻),山本正秀『近代文体発生の史的研究』

(佐伯順子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山田美妙」の意味・わかりやすい解説

山田美妙
やまだびみょう

[生]慶応4(1868).7.8. 江戸
[没]1910.10.24. 東京
小説家。本名,武太郎。 1885年大学予備門 (のちの第一高等学校) 在学中,尾崎紅葉らと硯友社を組織,言文一致運動の先駆となった『武蔵野』 (1887) を含む短編集『夏木立』 (88) で一躍天才作家の名をほしいままにした。ために紅葉と反目して硯友社を脱退,『蝴蝶』 (89) ,『いちご姫』 (89~90) など悲劇性を重視する近代的趣向でもてはやされたが,まもなくマンネリズムに陥り,遅れて文壇的地位を確立した紅葉や幸田露伴の影に隠れた。『都の花』の創刊から主幹をつとめた。ほかに長編『平清盛』 (1910) ,新体詩集『新体詞選』 (1886) ,詩論集『日本韻文論』 (90~91) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田美妙」の解説

山田美妙 やまだ-びみょう

1868-1910 明治時代の小説家,詩人。
慶応4年7月8日生まれ。尾崎紅葉らと硯友(けんゆう)社をおこし,機関誌「我楽多(がらくた)文庫」を発行。言文一致体による創作をこころみ,「武蔵野」「夏木立」「蝴蝶(こちょう)」などを発表。新体詩,戯曲,評論でも活躍し,「日本大辞書」「大辞典」を編集した。明治43年10月24日死去。43歳。江戸出身。東京大学予備門中退。本名は武太郎。別号に美妙斎。
【格言など】偉い人は種を蒔く,実は食わぬ(歴史小説「平清盛」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山田美妙」の解説

山田美妙
やまだびみょう

1868.7.8~1910.10.24

明治期の小説家・詩人・評論家。東京都出身。本名武太郎。大学予備門在学中に尾崎紅葉・丸岡九華(きゅうか)らと硯友社を設立。1886年(明治19)「嘲戒小説天狗」で言文一致小説を試みるかたわら,九華との共著「新体詞選」を刊行するなど,新体詩創作にも力をいれた。87年新歴史小説「武蔵野」が好評を博す。詩論「日本韻文論」は詩の新律格の理論的追求の書として貴重。アクセントに着目した「日本大辞書」を編纂した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山田美妙」の解説

山田美妙
やまだびみょう

1868〜1910
明治時代の小説家・詩人
本名は武太郎。美妙斎ともいう。東京の生まれ。尾崎紅葉と親しく,硯友社創立に参画。『我楽多文庫』を編集し,新体詩や小説を発表。言文一致体の先駆者として多大の寄与をなした。代表作に『夏木立』『武蔵野』など。

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367日誕生日大事典 「山田美妙」の解説

山田 美妙 (やまだ びみょう)

生年月日:1868年7月8日
明治時代の小説家;詩人;国語学者
1910年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山田美妙の言及

【硯友社】より

…明治中期の文学結社。1885年(明治18)2月,東京大学予備門在学中の尾崎紅葉,山田美妙(びみよう),石橋思案(1867‐1927)らが高等商業生徒の丸岡九華(きゆうか)らをかたらい創立した。同年5月から機関誌《我楽多(がらくた)文庫》を創刊,小説,漢詩,戯文,狂歌,川柳,都々逸(どどいつ)など,さまざまな作品を載せた。…

【蝴蝶】より

山田美妙の短編小説。1889年(明治22)1月《国民之友》掲載。…

【辞書】より

…これが近代的体裁をそなえた国語辞書として最初のものである。山田美妙の《日本大辞書》(1892)はアクセントを注記した最初のものであり,この後,落合直文《ことばのいづみ》(1898),金沢庄三郎《辞林》(1907),上田万年・松井簡治《大日本国語辞典》(1915‐28),金沢庄三郎《広辞林》(1925),大槻文彦《大言海》(1932‐37),新村出《辞苑(じえん)》(1935),平凡社編《大辞典》(1934‐36),金田一京助《明解国語辞典》(1943),新村出《言林》(1949),金田一京助《辞海》(1952),新村出《広辞苑》(1955),日本大辞典刊行会編《日本国語大辞典》20巻(1972‐76)など,数多くの辞書があるが,この中で《大日本国語辞典》と《大言海》とは,語釈や古典の用例などが詳密であり,《大辞典》は固有名詞を含むのが特色である。 特殊辞書では,類義語を集めた志田義秀・佐伯常麿《日本類語大辞典》(1909),広田栄太郎・鈴木棠三《類語辞典》(1955),方言では東条操《全国方言辞典》(1951)および《標準語引分類方言辞典》(1954),外来語を集めた上田万年・高楠順次郎・白鳥庫吉・村上直次郎・金沢庄三郎《日本外来語辞典》(1915),荒川惣兵衛《外来語辞典》(1941),アクセントを示した神保格・常深千里《国語発音アクセント辞典》(1932),日本放送協会編《日本語アクセント辞典》(1943),漢字の故事熟語を集めた簡野道明《故事成語大辞典》(1907),池田四郎次郎《故事熟語大辞典》(1913),隠語を集めた楳垣実《隠語辞典》(1956)などがある。…

【日本韻文論】より

山田美妙の詩論。1890年(明治23)10月から翌91年1月まで《国民之友》に計8回掲載。…

※「山田美妙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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