戒厳令(読み)カイゲンレイ(その他表記)martial law
Belagerungszustand[ドイツ]
état de siège[フランス]

デジタル大辞泉 「戒厳令」の意味・読み・例文・類語

かいげん‐れい【戒厳令】

戒厳2」を宣告する命令明治憲法下では天皇がこれを宣告した。「戒厳令をしく」

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共同通信ニュース用語解説 「戒厳令」の解説

戒厳令

一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本では明治憲法下の1923年の関東大震災や36年の二・二六事件などの際に敷かれた。現行の日本国憲法に規定はない。韓国では64年の日韓国交正常化交渉反対デモの際や、79年に当時の朴正熙パク・チョンヒ大統領が暗殺された際などに出された。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「戒厳令」の意味・読み・例文・類語

かいげん‐れい【戒厳令】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 戒厳を宣告する命令。戒厳の要件、効力は、明治一五年(一八八二)の太政官布告第三六号によって定められたが、現行憲法では戒厳の制度を否定したので、右の太政官布告は、昭和二二年(一九四七)に廃止された。
  3. ( に準じて ) 兵力で警備する状態をいう。また、比喩的に、そのような緊張した状態についていう。
    1. [初出の実例]「川島家は毎(つね)に戒厳令の下にありて、家族は避雷針なき大木の下に夏住む如く、戦々兢々として明かし暮らしぬ」(出典:不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉上)

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改訂新版 世界大百科事典 「戒厳令」の意味・わかりやすい解説

戒厳令 (かいげんれい)
martial law
Belagerungszustand[ドイツ]
état de siège[フランス]

一般に非常時に際して通常の行政権,司法権の停止と軍による一国の全部または一部の支配の実現を意味する非常法をいう。戒厳という言葉自体は,中国の《正字通》に〈厳,およそ彊敵のまさに至らんとして備を設くを戒厳といい,敵退きやや備を弛む解厳という〉とあるのに由来する。一方,欧米で戒厳に相当する用語は,いずれも敵に包囲された状態を意味している。非常法としての戒厳令の起源はフランス革命にさかのぼり,1791年の〈戦場および要塞の維持および区分,防御工事等の警察に関する法律〉とされる。本来軍事戒厳としての性格に限定されたこの合囲法が,総裁政府による反対派の打倒に利用された点に,戒厳令の本質が表れている。つまり,合囲法はクーデタのための有効な手段となり,やがてナポレオンを誕生させた。さらに1849年の〈合囲状態に関する法律Loi du 9 août 1849 sur l'état de siège〉は,ルイ・ボナパルトのクーデタに利用された。ドイツでは1851年プロイセンの〈合囲状態に関する法律Gesetz über den Belagerungszustand vom 4. Juni 1851〉が,憲法の条文をうける形で例外状態における憲法の一定の条項を停止することを定め,1871年ドイツ憲法によっても援用された。一方,イギリス,アメリカには憲法内に制度化された非常法は存在せず,コモン・ローに対して不文法たる〈マーシャル・ロー〉が,事実としての戒厳そのものを意味する。したがって非常法必要の存否およびその判断の適否については,議会,裁判所が相互にチェックするのである。このように非常法は,フランス,ドイツの成文法,アメリカ,イギリスの不文法の二つに大別される。

日本では軍人勅諭の制定と同じ1882年,対外防備のための非常法として戒厳令が制定された。この太政官布告第36号は16条からなり,臨戦地境と合囲地境との区別,前者における地方行政事務,司法事務の軍司令官による管掌,後者における軍法会議権限の拡大などを定めているが,憲法および平時法により保障された人権等の制限を含む包括的執行権限の軍司令官への付与に特徴がある。1889年に制定された帝国憲法においては14条に天皇の戒厳大権の規定があるにもかかわらず,新法が定められなかったため,前述の戒厳令がそのままこれに代わるものとされた。

 帝国憲法下の軍事戒厳は日清戦争のとき1件,日露戦争のとき6件で,いずれも臨戦地境であり合囲地境の例はない。ただし日清戦争の広島戒厳は純軍事目的のためではなく,初期議会における対立者である民党をも包含する挙国一致体制形成という政治目的のために行われた。それゆえ施行手続は明確化されず,日露戦争に至って初めて〈戒厳令実行ニ関スル大方針〉が,戒厳令施行細則として作成されている。しかし日露戦争後は軍事戒厳はなく,したがって〈大方針〉は,帝国憲法8条の緊急勅令制定権を利用した,もっぱら国内治安のための行政戒厳に利用されることになった。行政戒厳は,1905年日比谷焼打事件に際して東京市および周辺に,23年関東大震災に際して1府3県に,36年二・二六事件に際して東京市に,計3回行われた。なお,日本語の戒厳令は大陸法の系譜をひいているにもかかわらず,英米法のmartial lawの訳語ともなっているため,混乱の生じる場合がある。
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百科事典マイペディア 「戒厳令」の意味・わかりやすい解説

戒厳令【かいげんれい】

戦争や内乱などの非常時に際し,全国ないしは一部地域において通常の立法権,行政権,司法権の行使を軍部にゆだねる非常法をいう。国家緊急権制度のひとつ。非常法としての戒厳令は,フランス革命中の1791年の法律に起源をもつとされる。フランス,ドイツでは憲法中に定められたが,英国,米国では制度化された成文法としては存在しなかった。日本では,1882年に太政官布告として制定された。戒厳の宣告は天皇の権能(旧憲法14条)。戒厳が宣告されると,その地域における立法・司法・行政事務は戒厳司令官の権限に移され,住民の憲法上の自由・権利は制限されることが認められた。現行憲法では認められない。ただし,警察法は内閣総理大臣に緊急事態の布告を発する権限を認めており(71条),解釈上の問題となっている。
→関連項目五・一五事件自警団日比谷焼打事件山本権兵衛内閣

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「戒厳令」の解説

戒厳令
かいげんれい

戦時またはそれに準じる非常事態に際して一定の区域内の国民の権利・自由を制限し,行政・司法の事務の一部または全部を軍事機関の支配下におくことを定めた法令。1882年(明治15)太政官布告第36号として公布。大日本帝国憲法では,戒厳の宣告は天皇の大権とされ(第14条),形式は勅令で定められた。臨戦あるいは合囲の区域(敵軍に囲まれたり攻撃をうけたりする区域)では,戒厳司令官が行政・司法事務を管轄し,集会や出版物の停止,民有の家屋や物品の検査・接収,郵便物の開封などの権限をもった。日清戦争,日比谷焼打事件,関東大震災,2・26事件などに際し地域を限定して実施された。第2次大戦の敗戦により失効。日本国憲法には戒厳の規定はない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戒厳令」の意味・わかりやすい解説

戒厳令
かいげんれい

戒厳

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戒厳令」の意味・わかりやすい解説

戒厳令
かいげんれい

戒厳」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の戒厳令の言及

【日比谷焼打事件】より

…桂太郎内閣の御用新聞である国民新聞社,内相官邸を襲い,市内二つの警察署,大部分の分署・派出所・交番を焼き打ちし,キリスト教会を打ちこわしたりした。翌6日もその事態が続き,深夜緊急勅令をもって戒厳令の一部を東京市および周辺5郡に施行して近衛師団を出動させた。言論統制,新聞・雑誌の発行停止を行ったため,暴動はしだいに鎮静し,戒厳令は11月29日に解除された。…

※「戒厳令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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