デジタル大辞泉
「日本相撲協会」の意味・読み・例文・類語
にほん‐すもうきょうかい〔‐すまふケフクワイ〕【日本相撲協会】
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にほん‐すもうきょうかい‥すまふケフクヮイ【日本相撲協会】
- 相撲の維持・発展を目的とする財団法人。相撲会所を前身として明治二二年(一八八九)創立の東京角力協会に始まる。大正一四年(一九二五)大日本相撲協会となり、昭和三三年(一九五八)現在名に改称。力士・年寄・行司・呼出し・床山らで構成。
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知恵蔵
「日本相撲協会」の解説
日本相撲協会
相撲道の伝統維持・発展を目的に、大相撲の興行・運営等を行う公益財団法人。現在につながる職業相撲が興隆したのは江戸時代で、協会の前身は相撲部屋を統率していた江戸相撲会所である。1889(明治22)年、相撲会所は東京大角力協会に改組され、さらに1925(大正14)年には大阪角力協会と合併して、財団法人・大日本相撲協会と改称された。27年に東西での本場所が実現し、戦後、テレビ中継等によって相撲人気が高まった。その間、「大」が削除されて財団法人・日本相撲協会となり、2014年には、より高い公益性が求められる公益財団法人に移行した。現在の監督官庁は、内閣府(公益認定等委員会)である。
協会の基本規則である定款は、相撲の起源を「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)」とし、相撲道を「我が国固有の国技」と位置づけている。また、「相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる」という目的を実現するために、「本場所及巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与する」ことを定めている。これに基づき、協会は年6回の本場所と数回の地方巡業、不定期の海外公演・海外巡業等を開催している。なお、アマチュア相撲の各種競技会を開催しているのは、日本相撲連盟(公益財団法人)である。
日本相撲協会には諮問機関として、外部の有識者からなる横綱審議委員会が設置されている。しかし、運営に携わっているのは内部の年寄(親方・元力士)だけなので、組織の閉鎖性がたびたび指摘されてきた。その弊害からか過去10年に限っても、時津風部屋の弟子暴行死事件(07年)、外国人力士の大麻所持・吸引事件(08年)、野球賭博・八百長疑惑問題(10~11年)、横綱日馬富士の暴行事件(17年)、大砂嵐の無免許追突事故、貴公俊の弟子暴行事件(18年)などの不祥事が頻発している。また18年4月、京都府舞鶴市で開かれた春巡業では、土俵に倒れた市長の救命措置をする女性に向け、若手行司が土俵から降りるよう場内アナウンスしたため、強い批判を浴びた。八角理事長は「不適切な対応だった」と謝罪したものの、伝統とされる「女人禁制」を優先した行為だったため、「女人禁制」の是非やその伝統の真偽を問う議論が再燃している(18年4月末)。
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日本相撲協会
にほんすもうきょうかい
日本で唯一の職業相撲の団体で、年寄、力士、行司、呼出し、床山(とこやま)らによって構成される。1925年(大正14)12月に財団法人として認可され、大日本相撲協会が誕生した。1927年(昭和2)1月に東京、大阪相撲協会が合併し、1958年(昭和33)に現在名に改称、2014年(平成26)には公益財団法人に移行した。1954年(昭和29)9月に蔵前国技館、1985年1月には現在の両国国技館が開館した。「太古より五穀豊穣(ほうじょう)を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、わが国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させるために、本場所および巡業の開催、これを担う人材の育成、相撲道の指導・普及、相撲記録の保存および活用、国際親善を行うとともに、これらに必要な施設を維持、運営し、相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与する」ことをその目的として掲げている。協会の運営は理事会の決議により決定される。評議員(過半数は外部有識者)からなる評議員会の決議により協会運営にあたる理事・副理事が選ばれる。
[徳増信哉 2019年12月13日]
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「日本相撲協会」の意味・わかりやすい解説
日本相撲協会【にほんすもうきょうかい】
大相撲(職業相撲)の運営団体。1889年江戸時代からの相撲会所を改組して東京大角力協会設立。1925年大阪相撲を合併して財団法人大日本相撲協会となり,第2次世界大戦後の1958年日本相撲協会と改称。2014年には公益財団法人日本相撲協会となる。年間6回の本場所(東京で3回,名古屋,大阪,福岡で各1回)を主催興行する。評議員5〜7名(総数の過半数が外部有識者),役員は理事10名〜15名,監事2〜3名(外部有識者)。理事長は理事の互選により1名選出する。→相撲
→関連項目北の湖敏満|国技館|玉錦三右衛門|双葉山定次|横綱|若乃花幹士
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日本相撲協会 (にほんすもうきょうかい)
職業相撲を興行するただ一つの団体。江戸時代からの相撲会所が,明治になって改革され,さらに1925年大阪相撲協会を合併して,財団法人大日本相撲協会となり,58年財団法人日本相撲協会に改称した。年寄(定員107人)全員と力士(4人),行司(2人)の代表で構成する評議員(年寄)の中から立候補制に基づく選挙によって役員の理事10人,監事3人を選び,理事長は理事の互選によって選出される。理事の職務分掌は役員改選後理事長が指名し,委員および主任は理事会の選考を経て理事長が任命する。職務分掌は相撲教習所,指導普及部,生活指導部,事業部,審判部,地方場所部,巡業部,相撲競技監察委員会,公傷認定委員会があり,理事がそれぞれ部長になり,その下に委員,主任,平年寄が割り当てられる。理事の任期は2年。その他は1年。諮問機関として横綱審議委員会,運営審議会のほか,維持委員会などがある。
→相撲
執筆者:池田 雅雄
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日本相撲協会
にほんすもうきょうかい
日本唯一の職業相撲団体。1925年大日本相撲協会として財団法人の認可を受け,1927年大阪大角力協会(おおさかおおずもうきょうかい)を合併,1958年現在名に改称。現役を引退して相撲興行の経営,門弟の養成,相撲の指導などにあたっている年寄(一代年寄も含む)で構成される。外部有識者を含む評議員からなる評議員会が理事,監事などの役員を選出,理事会の決議によって理事長を決定している。おもな事業は,相撲協会の運営,力士・行司の育成,相撲の公開実施,青少年に対する相撲の指導・普及・奨励,国技館の維持経営,相撲番付の発行など。また相撲博物館,相撲教習所も設けている。(→相撲)
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日本相撲協会
にほんすもうきょうかい
唯一の職業相撲団体。近代になると東京と大阪の職業相撲の興行組織として東京相撲協会・大阪相撲協会があり,合併が懸案となっていた。1925年(大正14)摂政杯(のちの天皇賜杯)の制定を契機に,両協会が合併して財団法人大日本相撲協会が設立され,58年(昭和33)日本相撲協会に改称された。協会の運営にあたる役員には力士暴力死事件をきっかけに外部の役員が加えられ,さらに2014年(平成26)公益財団法人化にともない,外部役員の導入が規定された。協会のおもな事業は年6回の本場所の開催である。
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