デジタル大辞泉
「日本維新の会」の意味・読み・例文・類語
にっぽんいしん‐の‐かい〔ニツポンヰシンのクワイ〕【日本維新の会】
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日本維新の会
2012年に当時の橋下徹大阪市長、松井一郎大阪府知事らが政治団体「大阪維新の会」を土台に結党し、離合集散を重ねて現在に至る。大阪市などで取り組んだ行政改革を旗印に国政進出し、自民党や民主党に対抗する第三極として台頭。関西圏を中心に勢力を確保する。「身を切る改革」や教育無償化、憲法改正を看板政策に掲げる。国会では「是々非々路線」を取り、自民・公明政権の政策を修正させた上で賛成するケースもあった。党本部は大阪市。
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「日本維新の会」の意味・わかりやすい解説
日本維新の会【にほんいしんのかい】
日本の政党。2012年9月結成。2010年に橋下徹が結成した地域政党大阪維新の会が母胎となり,自民党(自由民主党),民主党,みんなの党などからの離党議員を加えて設立された。設立後,太陽の党(旧たちあがれ日本),日本創新党が解党して合流。当初は橋下が代表を務めたが,太陽の党合流に際して,石原慎太郎が代表に就任(橋下は代表代行)。2012年12月の衆議院選挙では石原・橋下の過激な政治批判・現状批判で有権者の気分を掴み,54議席を獲得,一躍国政第三党となった。維新八策という政策基本方針を掲げ,統治機構,財政・行政・政治改革,教育改革などを唱えた。2013年1月,石原・橋下共同代表となり,2013年3月に発表した綱領(こうりょう)では,自主憲法制定を第一に掲げた。しかし,2014年,野党再編を目指してみんなの党を離党した江田憲司グループが結党した結いの党との合流をめぐって路線が対立し,合流に肯定的な橋下のグループと,江田の〈自主憲法制定〉に否定的な姿勢を問題視する石原慎太郎のグループとの対立が激化し,結局同年7月に日本維新の会は解党した。橋下グループは結いの党と合併して維新の党を,石原グループは次世代の党をそれぞれ結党した。
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日本維新の会(2016―)
にっぽんいしんのかい
日本の政党。大阪府知事だった橋下徹(はしもととおる)(1969― )が創設した地域政党「大阪維新の会」を母体とし、2012年(平成24)に結党した。略称は維新。大阪府と大阪市の二重行政解消を目ざす大阪都構想や議員特権の見直しなど「身を切る改革」を掲げる保守政党である。道州制、首相公選制、一院制の導入、憲法裁判所の設置や教育完全無償化を提唱し、憲法改正を積極的に主張している。野党共闘にくみせず、安全保障関連法制やIR推進法(カジノ法)などで政府・与党の政策に同調することもある。党本部は大阪市にあり、日本の国政政党で唯一東京以外に本部を置く。代表は衆議員議員の馬場伸幸(ばばのぶゆき)(1965― )で、共同代表を大阪府知事の吉村洋文(よしむらひろふみ)(1975― )が務める。2022年(令和4)10月時点で、所属国会議員は62人(衆院41人、参院21人)で、野党第二党である。
2010年、橋下らは地域政党「大阪維新の会」を創設したが、大阪都構想など統治機構改革には国政進出が欠かせないと判断し、2012年に「日本維新の会」をつくった。石原慎太郎の「太陽の党」、江田憲司(えだけんじ)(1956― )の「結(ゆ)いの党」、小池百合子(こいけゆりこ)(1952― )の「希望の党」などと合流・共闘や分裂・離脱を繰り返し、党名も「維新の党」(2013~2014)、「おおさか維新の会」(2014~2016)とたびたび変更し、2016年にふたたび現党名に戻した。この間、2015年と2020年に大阪都構想の是非を問う住民投票を実施したが否決された。一方、低迷する他の野党にかわって与党批判票の受け皿となっており、大阪府知事、大阪市長の職を橋下、松井一郎(1964― )、吉村で10年以上にわたって占め続け、2025年の日本国際博覧会(大阪・関西万博)を誘致するなど、大阪府を中心に堅固な支持基盤をもつ。2015年に橋下、2023年に松井が政界を引退し、大阪都構想にかわる看板政策づくりや、関西以外での選挙区議席の獲得などが課題である。なお、2013年の「維新の党」発足でいったん解党しているため、2012~2013年を旧・日本維新の会とよび、2016年以降を新・日本維新の会とよんで、両者を分けてとらえることもある。
[矢野 武 2022年12月12日]
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日本維新の会
にっぽんいしんのかい
日本の政党。保守政党。中央と地方の統治機構の改革を掲げる。大阪府知事だった橋下徹が 2010年4月に結成した地域政党,大阪維新の会が前身。2011年4月の統一地方選挙で大阪府議会の過半数を占め,大阪市会,堺市議会でも第一党に進出。2011年11月,大阪都構想を推進するために橋下代表が府知事を辞任して大阪市長選挙に,松井一郎幹事長が大阪府知事選挙にそれぞれ立候補し当選した。2012年9月,自由民主党,民主党,みんなの党から離党した国会議員 7人が参加して,国政政党,日本維新の会を設立。直後に地域政党の日本創新党が解党して合流し,平沼赳夫と石原慎太郎が共同代表を務める国政政党,太陽の党が衆議院解散翌日の 2012年11月17日に解党して合流した。太陽の党の合流後は石原,橋下が共同代表を務めた。2012年12月の衆議院議員総選挙では,比例代表選挙(→比例代表制)で自民党に次ぐ第二党に躍進し,小選挙区(→小選挙区制)を合わせた議席は民主党の 57議席に次ぐ 54議席で,第三党となった。2013年には橋下の従軍慰安婦問題をめぐる不用意な発言により,党の支持の広がりにかげりがみられるようになり,同 2013年7月の参議院議員通常選挙では 44人の公認候補を擁立したが 8人の当選にとどまった。その後,橋下グループと石原グループの間で,憲法改正や野党再編に関する考え方の相違が表面化し 2014年7月31日に解党。翌 8月1日に橋下グループは新党として日本維新の会を,石原グループは「次世代の党」を設立した。
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知恵蔵
「日本維新の会」の解説
日本維新の会
2012年9月に結成された政党。大阪市市長・橋下徹(はしもととおる)が代表を務める政治団体「大阪維新の会」を母体に、国政進出を目指して設立された。決められない政治からの脱却、地方分権型国家への移行を主眼とする「維新八策」を党の綱領とし、「自立する個人、自立する地域、自立する国家」の実現を目指す。設立にともない、自民党、民主党、みんなの党から離党した衆参7人の国会議員が合流し、政党要件を満たした。党本部は大阪府内。
11月には「太陽の党」が合流し、同党の代表の石原慎太郎が「日本維新の会」代表に就任。橋下徹は代表代行となり、東京・大阪の知事経験者が並び立つ「双頭の鷲(わし)」体制となった。幹事長は松井一郎(大阪府知事)、国会議員団代表は平沼赳夫(元「たちあがれ日本」代表)が務める。
結党時から基本方針に、首相公選制、衆議院の議員数削減(参議院の廃止も視野)、消費税の地方税化、道州制の実現、日米同盟の深化などを掲げてきたが、企業・団体献金の廃止ルールは「太陽の党」に譲歩して撤回。また原発廃止や政権公約のセンターピン(要諦)と位置付けたTPP(環太平洋経済連携協定)参加をめぐっても、「太陽の党」出身議員からの反対を受け、橋下代表代行も「議論の余地がある」とトーンダウンした。こうしたことから、既得権益を打破する改革党のイメージが薄れ、選挙目的の「理念なき野合」といった批判も起こったが、12年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、小選挙区で14議席、比例代表区で40議席を獲得し、自民党・民主党に次ぐ第3党に躍進した。
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日本維新の会
地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が2012年9月12日に設立した新党。政策集「維新八策」を党の綱領とし、同年内にも予想される衆院選での国政進出に向けて結成された。設立と共に、維新の会の政治塾生と政治・行政経験者を対象にした衆院選の候補者公募を開始。公明党が候補者を擁立する全国9選挙区を除く小選挙区と比例ブロックに計350~400人を擁立し、過半数獲得を目指している。党首は暫定的に橋下徹大阪市長が務め、衆院選後に正式に選出される。なお、民主党の原口一博元総務相が同名の政治団体を設立しているが、政党でないため支障は生じないとされている。
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