航海に関する事故によって生ずる損害を塡補(てんポ)する損害保険。船舶のほか,船舶の属具・船費・用船料・運賃などを対象とする船舶保険と,積荷のほか諸掛,希望利益,運賃などを対象とする積荷保険(貨物海上保険ともいう)とに大別される。
海上保険の歴史は他の保険に比べはるかに古く,各種の現代的保険の母体といわれている。それがいつどうして発生したか明らかでないが,ギリシア・ローマ時代に始まり中世地中海地方でさかんに行われていた冒険貸借がいろいろな変遷をたどり,今日の海上保険となったとみる説が有力である。14世紀初頭以来,海上保険は地中海沿岸地方とくにイタリア,スペインで発達したが,コロンブスのアメリカ大陸およびポルトガル人の新航路の発見に伴い,アントワープが昔のベネチアに代わって貿易,海上保険の中心として繁栄し,海上保険の慣習が発達した。他方ロンドンには13世紀ころ北イタリアのロンバルディア人が移住し貿易を営んでいたが,海上保険も彼らによってイギリスに移入された。その後海上保険はエリザベス1世の手によってイギリス人の経営に移され,やがてイギリスの海外発展とともにその海上保険も著しい発展をとげ,現在もロンドンは世界の海上保険の中心地となっている。ロンドンでは,会社組織の保険とともにロイズ組合の保険業者の保険が行われている。ロイズLloyd'sは強大な組織をもち,あらゆる種類の保険を引き受けているが,その発端は17世紀の後半ころエドワード・ロイドが経営していたコーヒーハウスであった。当時はようやく流行しはじめたコーヒーハウスが一般の商談に利用され,ロイドのコーヒーハウスにはとくに海事関係業者が多く集まった。ロイズ組合が1779年に定めた海上保険の統一保険証券は今日も広く用いられ,日本の保険会社が発行している英文積荷保険証券もこれにならって作成されたものである。なおロイズ組合およびロンドンの保険会社は1982年に海上保険証券を平易・簡明なものに抜本改定したので,日本の保険会社が発行する英文積荷保険証券もこれにならい順次改定される予定である。
海上保険は少額の保険料負担により船会社・貿易会社などがこうむるおそれがある海上危険による損害を塡補する制度で,補助的な事業であるが,海運業や貿易業は海上保険なくしてはこれを安全かつ計画的に経営することは不可能である。貿易の発展には,世界各地の事情に通じた有能な貿易業者と,優秀な船を自由に運航しうる海運業者と,さらにこれらの後ろだてとなって,ひとたび損害が発生すれば速やかにこれを塡補するに十分な資力をもつ海上保険業者,の3者の協力が不可欠である。海上保険のその他の役割としては次のものがあげられる。(1)船舶を担保にとって金を融通した債権者は,その船に海上保険をつけることによって債権を確保できるから金融の円滑化に役立つ,(2)とくに輸出入貨物の代金決済が銀行を通じて簡単に行われるのも,貨物に海上保険がつけてあるからである。
海上保険では,契約の関係者,船舶・積荷などの保険の目的,航路,保険金額,担保危険,保険期間,塡補条件などがあらかじめ定められ,原則として保険期間内に担保危険によって損害が生じた場合に,塡補条件に従って保険金が支払われる。契約の関係者は保険者と保険契約者である。船舶や貨物の所有者その他これに利害関係をもち,したがって保険の利益をうける者を被保険者というが,この利益をうける者が保険をつけるのが普通であるから,通常は保険契約者と被保険者は同一人である。保険期間は保険者の危険負担の責任が存続する期間であり,たとえば横浜からサンフランシスコまでの1航海を保険する場合を航海保険,何月何日から何月何日までと定めた場合を期間保険という。積荷保険では航海保険が,船舶保険では期間保険が多い。
海上保険で担保される危険は航海に関する事故または海上危険といわれる危険であるが,これは必ずしも海上において生ずる危険には限らない。たとえば船舶が修繕のためにドックに入っている間の危険,また積荷が積替港で一時陸揚げされた場合の陸上危険もこれに含まれる。海上保険のおもなものは,暴風雨,沈没,座礁,座州,衝突,火災,爆発,強盗,流氷,戦争,同盟罷業,官の処分,船員の非行,雨ぬれなどである。海上保険者は法令または契約でとくに定めたほかは,いっさいの海上危険を負担する。これを〈包括責任主義〉といい,日本の商法および実際上はこの主義を採用しているが,イギリスでは海上保険法も実際上も〈列挙責任主義〉すなわち保険証券に列挙された個々の海上危険のみを負担する主義である。
このように海上保険はいっさいの海上危険を負担するが,海上危険によって生じたいっさいの損害を塡補するのではなく,あらかじめ取り決められた塡補範囲内の損害のみを塡補する。損害は,船舶・積荷に生ずる物的損害と,事故の結果被保険者が支出した費用(たとえば救助費)に分類することができ,また被保険者が単独で負担すべき単独海損と,共同海損の関係者が分担すべき共同海損に,また被保険利益の全部が滅失したか一部が滅失したかによって全損と分損とに分けられる(海損)。これらの損害のいずれを塡補しいずれを塡補しないかは,被保険利益の種類,保険の目的が被害をうける程度,保険料の高低などに従って,契約のつど保険者と保険契約者の間で取り決められる。塡補条件は船舶と積荷によって多少相違があるが,通常行われるものは次のとおりである。(1)分損担保 これはイギリスのWith Average(WA)にあたり,全損,分損(単独海損と共同海損を含む),損害防止費用などを塡補する。ただ単独海損については,損害が保険価額の2%を超えない場合は免責とする〈小損害免責約款〉が入れられるのが普通である。ただし損害が沈没,座礁,座州,火災,衝突によるときは,その割合を問わず単独海損を塡補する。(2)分損不担保 単独海損不担保ともいう。イギリスのFree from Particular Average(FPA)にあたり,全損,共同海損,損害防止費用を塡補し,単独海損を塡補しない。ただし単独海損であっても沈没,座礁,座州,火災,衝突によるときは,その額のいかんにかかわらず塡補する。(3)全損のみ担保 イギリスのTotal Loss Only(TLO)またはFree of All Average(FAA)にあたり,塡補範囲は最も狭い。この条件は船舶,船費,運賃などの保険に用いられ,積荷保険にはあまり用いられない。上記の3条件のほか,最近積荷保険についてはいっさいの外的危険を負担し,しかも小損害免責のない,オール・リスク約款というきわめて広範な塡補条件が普及してきた。なお1982年にイギリスで改定された保険証券・約款においては,昔ながらの規定で現在では必要のないものが削除されるとともに残された規定も必要に応じ現代化され,またWA,FPA,あるいはオール・リスク約款などの文言もなくなったが,その実質的な内容に大きな変化はない。
損害保険は被保険者が実際にこうむった損害を塡補することをたてまえとし,損害額以上の保険金が支払われることはないのが原則である。このために損害額は損害の生じた地の時価にもとづいて決定される。しかし海上保険では,船舶,貨物がつねに移動し,また損害の多くは洋上で発生するから,損害が発生した場所の時価を評価することは困難である。そこでとくに保険期間が始まるときの保険価額をもって,全期間を通じての標準とする。これを〈保険価額不変更の原則〉という。したがって被保険者は実際にこうむった損害以上または以下の塡補をうけることもある。
海上保険契約の内容は海上保険証券に印刷あるいは記入されている。船舶保険および国内を輸送される貨物の積荷保険では日本文の保険証券が使用されることが多いが,輸出入貨物の積荷保険では,保険証券がインボイス,船荷証券とともに船積書類の一つとして国際間に流通するので,ロイズの保険証券にならった英文証券が使用されている。積荷保険証券には,〈保険者の塡補責任の有無および塡補額の算定はイギリスの法律および慣習による〉旨が記載されている。これは,海上保険に関するイギリスの法律慣習が世界的に尊重されているので,これにならうことが日本の保険証券の流通性を高めるからである。アメリカはじめ諸外国の英文積荷保険証券にも同様のことを定めたものが多い。
生命保険や火災保険では死亡や火災という単一の危険を基本としているため,統計にもとづいて客観的に厳密に保険料率が算出されるが,海上保険では,担保される危険がきわめて複雑であること,海外の保険者との競争にさらされていることなどから,保険者の経験による主観的判断によって保険料率が決定されることが多い。船舶のトン数,船齢,用途,積荷の種類,梱包,塡補条件などが,料率の決定にあたって考慮される要素である。
執筆者:高木 秀卓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
航海に関する事故によって生ずる損害の填補(てんぽ)を目的とする保険。
[金子卓治]
海上保険の歴史は古く、その萌芽(ほうが)は古代ローマ時代にさかのぼることができるが、14世紀に北部イタリアの地中海沿岸諸都市において、それまでの海事慣行であった冒険貸借より転化して海上保険契約が結ばれるようになったのが現在のような海上保険の始まりとされている。1350年にパレルモ、1379年にピサ、1385年にフィレンツェ、1395年にベネチアで契約されたものは、いずれも今日の保険契約の形をとっている。地中海商業の発展に伴いイタリア商人とくにロンバルディア商人の活動が活発となり、その勢力圏の拡大とともに、海上保険もイタリアからマルセイユ、バルセロナなど地中海沿岸の港を経てリスボン、ボルドー、ブリュージュなど北大西洋岸の商業都市に伝えられ、やがてアントウェルペン(アントワープ)がかつてのイタリアの都市にかわって貿易および海上保険の中心地となるに至った。海上保険はさらにアントウェルペンから、北はアムステルダム、ハンブルクへ、西はロンドンへと伝えられた。そして17世紀以降は、その名もロンバルディアに由来するロンドンのロンバード街を中心として盛んに行われ、さらにイギリスが貿易、海運の中心的市場になるにおよんで、イギリスの海上保険は世界各国の模範となり、指導的地位を確保するようになった。
わが国においても、慶長(けいちょう)・元和(げんな)(1596~1624)ごろの朱印船貿易では「抛銀(なげがね)」という冒険貸借に似たものが行われており、元禄(げんろく)時代(1688~1704)になると、海上請負と称して、廻船(かいせん)問屋や船主が積み荷の運送中に生じた損害を負担するかわりに高い運賃をとることが行われていたが、いずれも独立した保険制度として発展することはなく、近代的な海上保険制度は明治維新後に外国から移入された。1859年(安政6)に神奈川、長崎、箱館(はこだて)の3港が開港されると、外国の貿易会社などとともに保険会社もこれらの港に進出してきて、主として外国会社を相手に営業を始め、明治時代に入ると、日本人を相手とする海上保険も取り扱うようになった。73年(明治6)には、北海道の開発を目的とした保任社が北海道開拓使の特許によって設立され、函館(はこだて)―東京―大阪間の貨物の運送を行うとともに、それに関連する荷為替(にがわせ)と海上請負業務を行ったが、採算がとれず、翌年4月には解散してしまった。77年になると、第一国立銀行が同行の本支店間荷為替の物品に限り「海上受合(うけあい)」業務を始め、79年には、渋沢栄一頭取(とうどり)が旧大名華族の資金を活用するために三菱(みつびし)の岩崎弥太郎の参加を得て東京海上保険会社(のちの東京海上火災保険、現東京海上日動火災保険)を創立し、海上受合業務を同社に譲渡した。この東京海上保険会社がわが国最初の保険会社である。
[金子卓治]
海上保険は、沈没、座礁、座州(砂や泥の上に船が乗り上げること)、火災、衝突その他の海上危険によって生ずる損害の填補を目的とする保険である。たとえば、貨物を積載した船舶が航海中に座礁して、船舶や貨物が滅失・損傷すれば、船舶や貨物の所有者は当然に損害を被る。そして損害はこの船舶や貨物自体の物的損害にとどまらず、船主は座礁のために貨物の運送が完了しなければ、荷主に運送賃を請求できず、その結果、その航海のために支出した燃料、食料、消耗品などの船費も回収できないことになる。荷主もまた貨物が無事目的地に到達したならば得られたはずの希望利益を失うという損害を被ることになる。このほか、海上危険が発生すれば、船主や荷主は損害の防止・軽減のために損害防止費用を支出しなければならなくなるであろうし、船主は自船が他船と衝突し、相手船とその貨物に損害を与えれば、衝突損害賠償責任を負担することになる。このように海上危険の発生によって生ずる損害には、船舶や貨物の物的損害のほかに、船主の運送賃請求権のような権利、船費のような回収を予定した支出、荷主の希望利益のような期待した収益などの積極財産に関する損害と、損害防止費用のような費用の支出や船主の衝突損害賠償責任のような責任の負担などの消極財産に関する損害とがある。海上危険の発生によって生ずるこのような各種の損害を填補するのが海上保険である。
海上保険は、海上危険の発生の主体、すなわち、保険の目的によって船舶保険と貨物保険とに大別される。
[金子卓治]
保険の目的である船舶は複雑な建造物で、船体のほかに、機関、帆柱、操舵(そうだ)器などがあるが、これらは当然に船舶の一部となる。また、被保険者の所有する物であれば、船舶使用の目的のために船舶内にあるすべての属具、燃料、食料その他の消耗品も船舶のなかに含めている。船舶の保険価額は、商法では保険責任開始のときにおける価額とし、保険期間の終了までこの価額が契約当事者双方を拘束する、いわゆる保険価額不変更の擬制が行われている。しかし、保険責任開始のときの価額がいくらであったかについての争いをなくすために、実際には、保険契約締結時に保険契約者と保険者との間で評価された価額、すなわち、協定保険価額が使用されている。船舶保険では保険金額を協定保険価額と同額とし、全部保険とするのが普通である。また、全損となった場合を除き、保険会社が保険金を支払っても、保険金額が減ることはなく、1回の事故ごとに保険金額を限度として何回でも保険金を支払う。保険期間は多くは1年間の期間保険であるが、短期間の契約も、航海保険として一つの航海の危険を付保することもできる。船舶保険の保険条件には、一般的契約内容を定めた船舶保険普通約款と、損害填補の範囲を定めた第1種から第5種までの特別約款とがあり、普通約款の上に特別約款から一つを選んで付加して引き受けられる。
[金子卓治]
売買契約の対象たる貨物は、陸・海・空の運送経路を経て運送される関係上、わが国の保険市場で引き受けられている貨物保険にも、主として貨物の陸上運送中の危険に備える運送保険、主として海上運送中の危険に備える貨物海上保険(積荷保険ともいう)、および主として航空運送中の危険に備える航空貨物保険の3種類がある。このうち、貨物海上保険はさらに、国際間の運送貨物(主として輸出入貨物)を対象とする外航貨物海上保険と、日本の国内沿岸の運送貨物を対象とする内航貨物海上保険とに分類される。貨物保険中、内航貨物海上保険および運送保険と、外航貨物海上保険との間に、前二者が国内取引に利用され、後者が国際取引用に利用されることから生ずる、主として引受方式や準拠法に関する種々の相違が存在する。すなわち、内航貨物海上保険と運送保険では、保険契約はすべて円貨建てで行い、保険証券あるいは保険引受証も和文のものが発行される。そして、保険約款に規定のない事項については日本の法令に従う。さらに保険条件および保険料率は原則上、損害保険料率算定会の決定したものによっている。これに対して、外航貨物海上保険は、保険契約を原則として外貨建てで行い、保険証券も英文のものが発行される。そして、保険金請求に対する保険会社の責任の有無および精算については、イギリスの法律および慣習に準拠する。なお、イギリスでは1982年からロンドン保険業者協会の新しい保険証券の様式、新しい保険約款が使用されることになり、わが国においてもこれに倣って新しいものに切り替えられつつある。
[金子卓治]
『亀井利明著『海上保険概論』改訂版(1996・成山堂書店)』▽『近見正彦著『海上保険史研究――14・5世紀地中海時代における海上保険条例と同契約法理』(1997・有斐閣)』▽『加藤修著『国際貨物海上保険実務』3訂版(1997・成山堂書店)』▽『加藤修著『貿易貨物海上保険改革』(1998・白桃書房)』
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出典 みんなの生命保険アドバイザー保険基礎用語集について 情報
…損害保険として日本の商法が定めているのは偶然な事故により被った損害が塡補される保険で,火災保険,運送保険,海上保険の3種類であるが,今日では各種の新しい保険が行われるようになっている。損害保険は多義の用語であるが,生命保険以外の保険ないし,保険のうち損害保険会社が営業するものの意味で用いられることが多い。…
…この機関が保険者である。
【保険の歴史】
[海上保険]
今日の保険の出発点は中世イタリア都市で行われた海上保険にあるとみるのが通説である。もっとも,保険という思考の原始的萌芽(危険分散,助け合い)や,保険に似た仕組みは,かなり古い時代までさかのぼって見いだすことができる。…
※「海上保険」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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