中国、北京(ペキン)市にある同国でもっとも権威ある大学。1911年渡米留学生の予備教育機関として設立された清華学堂(のちに清華学校と改称)が前身。1928年国立清華大学と改称され、文学、理学、工学、法学、農学の各学院(学部に相当)を置く総合大学となった。1952年の院系調整(学部・学科の改編)に際し、旧燕京(えんきょう)大学、北京大学の工科系を吸収統合し、理工系の人材養成を主目的とする清華大学となった(その際、文・理・法の各学院は北京大学へ移管)。その後、1990年代に大幅な機構改革が行われ、人文・社会科学系分野が新設され、2001年には医学部が設置された。2017年時点で、20学部(機械工学、情報科学・工学、建築学、法学、経済・経営学、理学、人文学、医学、薬学、環境学など)、58学系(学科)に再編されている。大学院のほかに、149大学付置研究所・工学系研究センターが設置されている。教員数約3400人、学生数約4万7000人を数える。
[馬越 徹 2019年4月16日]
中国の工学系の総合大学。義和団事件の賠償金の一部をアメリカが返還したのを基金にして,アメリカ留学のための準備教育機関として1911年(宣統3)に創立された清華学校が前身。そのためアメリカの対中文化政策の拠点として機能し,政府高官,買辦勢力となる卒業生が多かった。28年,国立大学に昇格。日中戦争中,北京を離れ,北京大学,南開大学(私立)と合併して,長沙臨時大学(1937-38,南京),国立西南聯合大学(1938-46,昆明)を結成。46年,北京に復帰。52年の〈全国工学院調整方案〉の公布により,従来の総合大学から工学系の総合大学に改組され今日に至る。文学者聞一多は,日中戦争期に清華大学で教鞭をとり,中国の古典文学を講じた。《清華学報》(1924創刊)は,解放前の中国で,《燕京学報》とならび,人文・社会科学の重要な業績をうみだした。
執筆者:市川 博
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1911年に北京に創設された清華学堂(中国)を前身とする,中国を代表する大学の一つ。清華学堂は米国留学予備学校として始まり,翌年に清華学校(中国)となり中国での人材養成を開始した。1928年に国立清華大学(中国)と改称し,37年以降国立長沙臨時大学(中国),国立西南連合大学(中国)として継続した。1946年に文・法・理・工・農の5学院を有して北京市で再開されたのち,52年の院系調整により理工系に特化した大学となる。1980年代以降,経済管理,人文社会科学,法などの学院を設置して文系分野の拡充が進むと同時に,99年には中央工芸美術学院を合併して美術学院とし,2001年には医学院を設置するなど総合大学化が進む。「211プロジェクト」および「985計画」を通じて重点支援を受けている。2016年時点で20学院57系が置かれ,本科課程学生1万5000人,大学院課程の学生3万人余を擁し,教員は3000人を超える。なお国共内戦後,国民党政府が台湾に移った結果,1955年に台湾にも国立清華大学(台湾)が再建されている。
著者: 南部広孝
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