化学技術者。富山市生まれ。1983年(昭和58)東北大学工学部電気工学科卒業。同年島津製作所入社、技術研究本部中央研究所に配属。その後同社計測事業本部、イギリスの関連会社出向等を経て、2002年(平成14)5月同社分析計測事業部ライフサイエンス研究所配属、同年11月島津製作所フェロー。2003年1月田中耕一記念質量分析研究所所長となる。生体高分子の質量分析法「脱離イオン化法」の開発が評価され、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」によりアメリカのJ・B・フェン、スイスのK・ビュートリッヒとともに2002年のノーベル化学賞を受賞。学士での受賞はノーベル化学賞初である。田中の受賞が発表された前日には、東京大学名誉教授小柴昌俊(こしばまさとし)の物理学賞受賞が決定しており、日本初の同年2名のノーベル賞受賞となった。タンパク質などの生体高分子は生物を支えるうえで重要であるが、これを分析する技術は、新薬開発やバイオテクノロジーなどで応用されている。同2002年、文化功労者に選ばれ、文化勲章を受章、また東北大学名誉博士号を受けた。2006年学士院会員となる。
[編集部]
『田中耕一著『生涯最高の失敗』(2003・朝日選書)』
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日本の企業内研究者.富山県に生まれる.東北大学工学部電気工学科卒業後,京都の島津製作所に入社し,中央研究所で質量分析装置の開発に従事.1985年金属超微粉末とグリセリンの系に加えた巨大分子試料を,レーザー光で急速加熱することではじめてイオン化に成功し,1987年までに分子量10万以上のタンパク質の質量分析を可能にした.1987年5月日本質量分析連合討論会ではじめて発表.同年9月の日中連合質量分析討論会で英語で発表し,論文がイギリスの学術誌Rapid Communications in Mass Spectrometryに掲載(1988年6月6日付)された.これがレーザーを用いたタンパク質のイオン化(ソフトレーザー脱離イオン化法)の世界最初の報告と認められて,2002年ノーベル化学賞を受賞.現在は,島津製作所田中耕一記念質量分析研究所所長.
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