田中良(読み)タナカ リョウ

20世紀日本人名事典 「田中良」の解説

田中 良
タナカ リョウ

大正・昭和期の画家,舞台美術家



生年
明治17(1884)年10月29日

没年
昭和49(1974)年12月31日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京美術学校洋画科〔明治43年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和32年〕

経歴
和田英作に師事する。大衆向きなハイカラな画風から、菊池寛「第二の接吻」、谷崎潤一郎痴人の愛」などの小説や、多くの少年少女雑誌、絵本挿絵を描いた。舞台美術の面でも活躍し、菊池寛「父帰る」、小山内薫息子」などの舞台装置を手がけた。昭和32年、舞台美術業績で紫綬褒章を受章。「舞台美術」「歌舞伎定式舞台図集」「舞踊百姿」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中良」の意味・わかりやすい解説

田中良
たなかりょう
(1884―1974)

舞台美術家。東京生まれ。東京美術学校西洋画科卒業後、帝国劇場背景部に参加。新聞や雑誌に挿絵を執筆しつつ、それまでの大道具の意識を改め舞台美術として研究。1919年(大正8)欧米視察後、舞台美術の発展向上に尽くす。23年宝塚歌劇団に背景部を新設して指導にあたった。第二次世界大戦後は日本舞踊の美術のみに専念詩情と色彩美による斬新(ざんしん)な作品を描き、この界の第一人者であった。6世尾上(おのえ)菊五郎と提携した『息子』『保名(やすな)』などが代表作。著書に『歌舞伎(かぶき)定式舞台図集』『日本舞踊百姿』がある。

[大木 靖]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中良」の解説

田中良 たなか-りょう

1884-1974 大正-昭和時代の舞台美術家。
明治17年10月29日生まれ。帝国劇場の背景部に所属。大正8年欧米を視察,帰国後新歌舞伎や新舞踊の舞台美術にかかわる。12年宝塚歌劇団に背景部を新設。代表作に「保名(やすな)」「息子」など。新聞小説,雑誌,絵本などの挿絵も手がけた。昭和49年12月31日死去。90歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中良」の意味・わかりやすい解説

田中良
たなかりょう

[生]1884.10.29. 東京
[没]1974.12.31. 東京
舞台美術家。東京美術学校 (現東京芸術大学) 洋画科卒業。油絵画家として活躍したが,1919年欧米をめぐって帰国後,演劇,舞踊の舞台美術を手がけた。また,劇場に舞台課を設置するなど舞台美術の改革を推進した。代表作に6世尾上菊五郎初演の『保名』 (1922) の装置がある。著書に『舞台美術』『歌舞伎定式舞台図集』など。

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367日誕生日大事典 「田中良」の解説

田中 良 (たなか りょう)

生年月日:1884年10月29日
大正時代;昭和時代の画家;舞台美術家
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田中良の言及

【息子】より

…平易明快な主題,緊密な構成,簡潔なせりふは,配役の妙とあいまって,みごとな世話物の一幕を現出した。黒一色の舞台中央に小屋を置いた田中良の舞台装置も評判となった。【永平 和雄】。…

※「田中良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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