改訂新版 世界大百科事典 「私的自治の原則」の意味・わかりやすい解説
私的自治の原則 (してきじちのげんそく)
個人は,自分のかかわる私法関係すなわち私的な権利・義務関係を,その意思によって自由に決定し規律することが最も妥当であるとする原則で,近代私法の基本的原則である。この原則は,近代資本主義体制を育成し発展させた〈個人は万物の尺度である〉とする思想を背景としたレッセ・フェール(自由放任主義)を法的に表現したものである。そして,この原則は,近代個人主義思想が,人間の本性を自由で独立したものとしたために,その個人がどうして他人に対して法的に義務づけられ,拘束されるのかという問題を生むに至ったのに対して,〈自由意思〉にその根拠を求めたものである。すなわち,〈我欲す,故に我義務づけられる〉という考え方によるものである。しかし,このように人の人に対する義務づけの根拠を〈人の意思〉に求める思想は,それまで,人の本性や自然法を根拠にしたり,約束を守ることが道徳によって命じられているからと考えてきたのに対して,近代ヨーロッパにおいてはじめて生まれたものである。それは,スコラ哲学に始まり,ホッブズ,ロックを経て,ルソーの《社会契約論》において開花し,カントで大成した考えに基づくものである。
そして,この私的自治の原則は,私法上の権利・義務の変動を基礎づける制度として,サビニーによって一応の完成をみた法律行為や,その要素とされる意思表示の根本的な原理でもある。つまり,法律行為や意思表示の理論は,私法上の権利・義務の変動,とくに義務の負担は,各人の自由な意思に基づいてのみなされるべきであり,それが公平妥当な結果を生むものであるとの考えに基づいて構築されたものである。このことから,私的自治の原則は,第1に,人の自由な意思があることから権利・義務の変動が生ずるのであり,第2に,人の意思が存在する限り,その意思どおりの法律効果を認めるべきであるとの原則を生むことになる。そして,具体的には〈法律行為自由の原則〉あるいは法律行為のもっとも典型的な形態である〈契約自由の原則〉となって現れることになる。また,それは,個人の意思に基づかないことについては個人の責任は認められないという考えに基づき,故意または過失による場合でなければ民事上の責任はないとする過失責任主義を生むことになる。
しかし,私的自治の原則は,今日では,多くの制限を受け,衰退しつつある。私的な権利・義務関係の形成を,個人の自由意思に任せることによって取引は活発化し,資本主義を育成することにはなったが,やがて独占資本を生み,経済的強者による経済的弱者の支配が生じ,社会的な矛盾と対立が激化するに至った。そこでは,経済的強者においては私的自治であるが,経済的弱者にとっては服従の手段でしかないことになる。このことから,私的自治に対して,国家によるいろいろな制約が加えられることになる。また,他面では,私的自治の原則の下に自由な意思が法的拘束力の根拠と考えられてきたのに対して,人が法律上義務づけられるのは,法律,現実には裁判所によってであり,人の意思が尊重されるのも法律がそのように決めたからであるとの考えが生まれることによって,その重要な任務が失われつつあるからである。ここに,私的な権利・義務関係の形成において,私的自治の原則に対して,国家の介入を結果することになる。
なお,国際私法上での私的自治の原則は,法律行為の準拠法を当事者の意思によって決定する原則を意味し,当事者自治の原則とも呼ばれている。
→契約
執筆者:伊藤 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報