副食物、おかずのこと。惣菜とも書く。家族総(すべ)ての人に供するための菜の意。江戸時代中期から使われていることばで、そのころは平日の副食物の意であるが、内容は貧しいものをさしていたようであった。1771年(明和8)の『柳多留(やなぎだる)』に「そうざいはひじきとかむろ口ばしり」とある。ヒジキは商家などの総菜に多く用いられ、「ごはんが二食(にじき)でおかずはひじき」ということばもあった。当時、関西の総菜の代表的なものは船場汁(せんばじる)であった。食生活を倹約する大坂船場では、商家の主人が自ら魚市場などで塩サバを買ってきて、それをぶつ切りにし、ダイコンを切りこんで煮たものを船場煮、汁にしたのを船場汁といった。これは経済的な関西式の総菜なので、江戸にも紹介された。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』の「茶」の項に「平日の菜を京坂にては番さいと云(いい)、江戸にて惣ざいと云」とある。
江戸の武士の家でも、仕える者の副食には粗末なものが用いられていた。明治、大正時代でも総菜は、商店の従業員、医者、弁護士などの家に住み込んでいる者の給食、通勤者の昼食などに供給された。総菜にはニシン、塩ザケ、イワシ、ダイコン、サツマイモなどが用いられていた。漬物には沢庵(たくあん)漬けや三河島菜(みかわしまな)が多く用いられ、漬物に使うしょうゆは塩と水を加えてコストダウンしていた家もあった。総菜は必要量を煮たり焼いたりして盛込みで出し、各自が簡易な箱膳(はこぜん)の中から自分用の器を出して、取り分ける方法をとっていた。
総菜を売る店は、江戸時代にはすでに存在し、『守貞漫稿』の生業部門に菜屋(さいや)の名で出ており、煮しめや煮豆などをどんぶりに盛って店頭に並べた。おかずとは総菜と同じ意に用いることもあったが、概しておかずのほうは総菜より程度のいいものを意味する傾向が強い。おかず好みということばが江戸時代からある。明治、大正、昭和となるにしたがい総菜屋は大きく進展し、給食という名称のもとに、これを専業とする大規模な事業になっている。また、船場煮はサバをタイなどに変えて用い、高級料理屋の看板料理になっているものもある。なお、現在の総菜料理には、洋風、中華風のものも加わり、多彩なものになっている。
[多田鉄之助]
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