制度的に強制された教育。だれが、だれに、いかなる教育をなんのために、強制しているかで、そのあり方や意義は大きく異なる。現在の日本の義務教育は、日本国憲法第26条をはじめ教育基本法、学校教育法等の定めにより、すべての国民が、その保護する子女に、9年間の普通教育を、正規の小・中学校で受けさせるよう、強制された教育である。それはまた憲法第26条1項が、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定め、国民ひとりひとりの教育を受ける権利(学習権)を保障するために、その維持を全国民に義務づけた教育でもある。
[木村力雄]
しかし以上のような性格の義務教育は、世界史的にみても、ごく最近のことで、これまでにそれとは性格を異にするさまざまな義務教育が制度化されてきた。次にその特徴を五つの性格に分けて考察してみる。
〔1〕特権的支配階級に属する者が、その体制の維持強化のために、自らの子弟(原則として男子だけ)に特定の教育を義務づけたことからその歴史は始まる。ギリシアのスパルタの例がその典型とされている。時代は下るが、わが国でも江戸時代の藩校教育のうち、同じ意味で義務化されたものが少なくなかった。スコットランド、ロシアなどにも類似のものが断続的にみられる。しかしこの種の事例はまれである。
〔2〕民衆つまり被治者一般に対し教育が義務づけられるのは、欧米においても16、17世紀以後、宗教改革によりプロテスタントの領邦国家が誕生してからのことである。当然信教の自由の問題と深くかかわり、家庭内の教育や学校の設置だけを義務づけながら、それへの就学は義務づけなかったアメリカのマサチューセッツのようなケースと、信仰属地主義をとり、就学までをも強制したドイツ諸領邦のようなケースとがみられた。
〔3〕世俗国家の専制君主が、その富強のために、国民=庶民一般の教育の振興を図り、学校の設置とともに、就学をも義務づけるようになったのは、18世紀になってからで、プロイセンの1763年の「一般地方学校令」がその先駆といわれる。
以上三つの義務教育に共通する点は、国家の存続維持発展こそが重要であり、それに寄与できそうにない心身に障害のある者たちは義務も免除された。そこには教育を受ける権利といった発想はまだなかった。
〔4〕義務教育の性格は、人権思想の形成、普及、発達によって大きく変質した。その端緒は18世紀末のアメリカ独立戦争期やフランス革命期に形成された、いわゆる近代公教育思想に淵源(えんげん)する。実際に産をもたぬ労働者層が、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの各国で、生存権の一環として、教育を受ける権利運動を展開したのは、19世紀も1830、40年代になってからのことで、平等より自由を重んじるイギリス、アメリカ、フランスの各国で、さらに就学義務制が実現されたのは、1870、80年代になってからであった。
しかも当時前記の諸国で成立をみた義務教育は、無償の公教育を権利として要求する労働者層の運動も、その成立の一因とはなったが、現実には、彼らと対立し、公教育を秩序維持の手段とみる特権層・地主層と、良質で安価な労働力の供給源とみる産業資本家たちとの妥協の産物でもあった。憲法等に教育を受ける権利がそれとして明記されることも当然まれであった。義務教育とその後の教育との接続も調整されてはおらず、能力に応じて、その後の教育が受けられるようになっていたのは、まだアメリカの中西部だけであった。
〔5〕わが国の第二次世界大戦前の義務教育は、天皇制公教育の基盤をなすもので、〔3〕に類似した性格であったとされている。事実、1890年(明治23)教育勅語の渙発(かんぱつ)直前に制定公布された第二次「小学校令」は、その範をドイツに求めた。しかし1872年(明治5)の「学制」から三つの「教育令」を経て、第一次「小学校令」が制定され、就学義務制の基盤が敷かれるまでには、ドイツよりは、フランス、アメリカ、イギリスなど各国学制の最善良なるものを求めての模索があった。1907年(明治40)には6年制の義務教育、さらに45年(昭和20)までには、8年制となった初等義務教育と、男子だけを対象とするものではあったが、定時制の青年学校教育とをあわせるなら、満6歳から19歳まで、13年間の義務教育が完成する予定であった。
冒頭のわが国の現行義務教育制度は、以上の文脈でわが国固有の国民的平等意識に支えられ形成されてきた義務教育が、第二次世界大戦後の諸改革を通じ、教育を受ける権利=学習権思想を支点に改組再編されたものであった。
[木村力雄]
今後の課題は「能力に応じて」と「ひとしく」の緊張関係にある二つの原則が、成績1点を争う競争原理で貫かれている現実を、どう超えるかにある。素質・能力の違いを認め、個性を尊重する教育が、結果として差別教育の是認とならぬようにすべきである。以上は近代から現代への世界共通の課題でもある。
[木村力雄]
『伊藤秀夫編『義務教育の理論』(1968・第一法規出版)』▽『真野宮雄編『義務教育史』(『世界教育史大系 第28巻』所収・1978・講談社)』▽『平原春好編『義務教育・男女共学』(『教育基本法文献選集 第4巻』所収・1978・学陽書房)』
国民がその保護する子どもに一定の教育を受けさせることを法的に義務づけている教育制度とそこでの教育をいう。一般に各国とも,法令によって子どもの年齢ないしは習得すべき教育課程を基準に義務教育の年限(期間)を定め,保護者(父母または後見人)にはその期間子どもを就学させるか,その課程を修了させるかの義務を課し(就学義務),国や地方自治体には必要な学校を設置し(学校設置義務),無償制をはじめ教育の諸条件を整備することを義務づけている。就学開始年齢(学齢)はイギリス,イスラエルなどの5歳を除けば6歳ないしは7歳がほとんどだが,義務教育年限にはかなりの差がみられる。12年(アメリカ2州)を最長に,若干の国が11年(イギリス,イスラエル,アメリカ3州)と10年(フランス,ニュージーランド,ブルガリア,ハンガリー,ロシア,アメリカ9州など)であり,日本をはじめ他の欧米諸国では9年が多く,アジア,アフリカ,ラテン・アメリカの発展途上国では6年以下が大半で,義務教育制度が確立していない国もみられる。日本では,満6歳から15歳の9年間を義務教育年限とし,小・中学校で普通教育を子どもに受けさせる義務を保護者に,それに必要な学校の設置義務を市町村と都道府県に課している。
義務教育制度の萌芽的形態は17~18世紀のアメリカ植民地やプロイセンの法令にみられるが,一国のすべての子どもを対象とした近代義務教育制度の発足は,先進資本主義諸国でも19世紀の後半である。アメリカでは1852年の〈マサチューセッツ州義務教育法〉を皮切りに各州であいついで制定され,イギリスでは〈1870年初等教育法〉,フランスでは〈1882年教育法〉によって義務教育の制度的端緒が開かれ,19世紀末ごろまでに徐々に整備確立された。それまで欧米諸国では,教育と宗教(宗派)をめぐる複雑な関係を背景に,子どもの教育は親権に属するという立場から〈親の教育の自由〉が強調され,国家が教育に関与することには強い拒否反応があった。しかし,産業革命後の資本主義社会の発展と,それと表裏をなした国内国際間の矛盾・対立の激化のなかで,一定の学力(読み書き算=3R's)と国民意識(愛国心)をもった勤労国民を義務教育によって養成すべきであるという国家的要請が強まり,他方では労働者階級を中心に,〈教育はすべての国民の権利である〉という立場(教育権)に立った義務・無償の公費教育の要求が高まった。先進資本主義諸国での義務教育制度の発足にはこうした背景がある。
日本の場合,近代公教育制度は1872年(明治5)の〈学制〉によって発足したが,保護者に対する就学義務を法的に明記したのは86年の〈小学校令〉である。義務教育年限は1907年〈小学校令〉で4年から6年に延長され,さらに41年〈国民学校令〉では8年間と定められたが,これは第2次大戦中に戦時特例によって実施が見送られたまま敗戦を迎え,戦後の教育改革のなかで一挙に現行の9年制が確立されたのである。日本の義務教育制度は100年の歴史をもつが,敗戦を画期として〈義務教育〉観と法制には大きな転換がなされている。戦前においては,義務教育を受けることは兵役,納税と並んで臣民(国民)が国家に対して果たすべき三大義務とみなされていた。これに対し戦後の義務教育は,〈教育を受ける権利〉が憲法のなかに明記(26条)されることにより,子どもの学習する権利を実現するべきものへと根本的な転換をとげた。子どもの学習権を保障するために,まず保護者が就学の義務を負い,ついで地方自治体と国が学校設置義務をはじめその無償制や十分な教育諸条件を整備確立する就学保障義務を課せられたのである。また,権利としての義務教育は前期中等教育へも拡充され,心身の障害をもつ子どもをふくめてすべてのものに無差別平等に保障されることになった。しかし,それが名実ともに実現されるには,なお多くの課題が山積されている。
執筆者:三上 昭彦
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…保護者が,その保護する子どもを就学させる義務を負っている期間の子どもの年齢(6歳から15歳まで)をいう。学校教育法では,保護者に対し,子どもが〈満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め〉から,〈満15歳に達した日の属する学年の終り〉まで,義務教育諸学校に就学させる義務を負わせている。したがって,4月2日から,翌年4月1日までの期間に生まれた子どもが,同一学年を構成することになっている。…
…これは,急速な近代化に必要とされる人材を特定の階層からだけでなく,広く全国民の中から選抜するためであり,また近代化にともなう社会の階層分化に対処して国民の共通意識を育てるうえで,有効であると考えられたためである。しかし,1907年尋常小学校(義務教育)の年限が中等学校への接続年限と同一の6年に延長されてからは,高等小学校(2年または3年)は中等学校低学年と同一年齢層の子どもたちに初等教育を与えるという,差別的な課程とならざるをえなくなった。07年の義務教育6年制の成立から現在まで,小学校は満6歳児を入学させる6ヵ年の課程となっているが,低学年生と高学年生とでは身心の発達程度にかなりの開きがあるので,はたして同一の学校に学ぶことが望ましいかどうか疑問が提出されており,幼稚園や中学校との新たな接続関係の造出が,学制改革の一課題とされている。…
※「義務教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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