デジタル大辞泉
「茅野蕭々」の意味・読み・例文・類語
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ちの‐しょうしょう【茅野蕭々】
- 歌人、ドイツ文学者。本名儀太郎。長野県出身。雅子の夫。東京帝国大学卒。第一高等学校在学中から「明星」に短歌を発表。「リルケ詩抄」「独逸(ドイツ)浪漫主義」などの訳著がある。明治一六~昭和二一年(一八八三‐一九四六)
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茅野 蕭々
チノ ショウショウ
明治〜昭和期のドイツ文学者,歌人,詩人
- 生年
- 明治16(1883)年3月18日
- 没年
- 昭和21(1946)年8月29日
- 出生地
- 長野県上諏訪町
- 本名
- 茅野 儀太郎
- 別名
- 別号=暮雨
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学独文科〔明治41年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔昭和11年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 日本ゲーテ賞〔昭和19年〕
- 経歴
- 中学時代から詩歌を投稿し、一中時代「明星」に短歌を発表。大学卒業後、三高講師となり、明治42年教授に就任。大正9年慶大教授となり、11年から日本女子大教授を兼務する。13年から14年にかけてドイツ留学をする。帰国後「フアウスト物語」「リルケ詩抄」などを次々と翻訳刊行する一方「独逸浪曼主義」、ライフワークとなった「ゲョエテ研究」などを執筆。他の著書に「朝の果実」「茅野蕭々歌抄」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
茅野蕭々
ちのしょうしょう
(1883―1946)
歌人、独文学者。長野県上諏訪(かみすわ)生まれ。東京帝国大学独文科卒業。旧制三高・慶応大学・日本女子大学教授を歴任。1903年(明治36)から『明星』の歌人として活躍、07年新詩社の歌人増田雅子(まさこ)と結婚した。『明星』廃刊後は『スバル』に拠(よ)った。翻訳『リルケ詩抄』(1927)の素朴な表現はリルケ普及に大きな力を及ぼす。『ギョエテ研究』(1932)で文学博士。ほかに『独逸浪漫(ドイツろうまん)主義』(1936)、夫婦共著の『朝の果実』『蕭々雅子遺稿抄』がある。
[高橋英夫]
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茅野蕭々 ちの-しょうしょう
1883-1946 明治-昭和時代のドイツ文学者,歌人。
明治16年3月18日生まれ。茅野雅子の夫。明星派の新進歌人として注目され,「明星」廃刊後は北原白秋,石川啄木らと「スバル」に作品を発表。三高,慶大,日本女子大の教授をつとめた。昭和21年8月29日死去。64歳。長野県出身。東京帝大卒。本名は儀太郎。初号は暮雨。著作に「ゲョエテ研究」「独逸(ドイツ)浪漫主義」,訳書に「リルケ詩抄」など。
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茅野 蕭々 (ちの しょうしょう)
生年月日:1883年3月18日
明治時代-昭和時代のドイツ文学者;歌人
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の茅野蕭々の言及
【ドイツ文学】より
…生田長江の《ツァラトゥストラ》訳(1911)をはじめとするニーチェの翻訳紹介も大きな反響をよびおこし,とりわけ萩原朔太郎にその影響が認められる。茅野蕭々(1883‐1946)の《リルケ詩抄》(1927)は名訳の評判が高く,堀辰雄や立原道造をリルケの世界に近づけた。ヘルダーリンに心酔した伊東静雄を含め,日本浪曼派はドイツ文学から深い影響をうけているが,その一方,生田春月の訳編になる《ハイネ詩集》(1917)の意義も特筆に値しよう。…
※「茅野蕭々」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」