平安後期の歌人。生年には異説がある。右大臣俊家の子。祖父は右大臣頼宗(よりむね)(道長の子)。名門の出なのに従(じゅ)五位上左衛門佐(すけ)に終わったのは、学識に誇って高慢であり、公事(くじ)に怠惰でもあったからと推測されている。『堀河院(ほりかわいん)百首』(1105ころ成立)の作者の1人。歌学に詳しく、万葉次点の1人。1138年(保延4)出家、法名覚舜(かくしゅん)。歌論は、「元永(げんえい)元年十月二日内大臣忠通(ただみち)家歌合」などの判詞(はんし)に見るように、古歌の姿を重んじ、歌病を避け、伝統的立場を重んじており、新しい歌風を求める源俊頼(としより)と鋭く対立した。その和歌は、『堀河院百首』や歌合類、家集『基俊集』(三系統)、『金葉集』以下の勅撰(ちょくせん)集にみえる。歌論を反映して伝統的な歌風であるが、また「夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水いくむすびしつ」のように、時代の影響下に、叙景歌の流れを受けた新しい感覚のものもみえる。『相撲立詩歌(すもうだてしいか)』『新撰朗詠(しんせんろうえい)集』の撰者。なお、その門から藤原俊成(しゅんぜい)が出た。永治(えいじ)2年1月16日没。
[井上宗雄]
『橋本不美男著『院政期の歌壇史研究』(1966・武蔵野書院)』
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(加藤睦)
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…催馬楽(さいばら)に比べると拍節も定かではなく,むしろ,ゆるやかに流れるフシのみやびやかさを鑑賞すべく考案されたもののようである。宇多天皇の孫にあたる源雅信(920‐993)がそのうたいぶりのスタイルを定め,一派を確立したと伝えられており,その後,雅信を流祖とする源家(げんけ)と,《和漢朗詠集》《新撰朗詠集》の撰者藤原公任,藤原基俊などの流派である藤家(とうけ)の2流により,それぞれのうたいぶりや譜本を伝えた。これらの流儀はさらにうたいものを伝える堂上公家の系統である綾小路(あやのこうじ)家,持明院家などに受け継がれ,これらの家に伝わる譜本に基づいて1876年に《嘉辰》《春過》《徳是(とくはこれ)》《東岸》《池冷(いけすずし)》《暁梁王》《紅葉(こうよう)》の7曲が,さらに88年に《二星(じせい)》《新豊》《松根》《九夏》《一声》《泰山》《花十苑》の7曲が宮内庁楽部の選定曲とされ,別に《十方(じつぽう)》を加えて,現在の宮内庁楽部のレパートリーとされている。…
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