藤村操(読み)ふじむらみさお

改訂新版 世界大百科事典 「藤村操」の意味・わかりやすい解説

藤村操 (ふじむらみさお)
生没年:1886-1903(明治19-36)

一高文科1年在学中の1903年5月22日,日光華厳滝に投身自殺した哲学青年。東洋史家那珂通世の甥。滝上ナラの木に〈巌頭之感〉の題下〈万有真相は唯だ一言にして悉す曰く不可解我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る〉と遺書した。文明,国家,立身出世主義に背を向け新しい人生価値を求めての煩悶自殺で,当時の社会に強い衝撃を与え,多くの追随青年を出したほか,個我中心の新思潮を促す一因をなした。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 恒久 阿部

20世紀日本人名事典 「藤村操」の解説

藤村 操
フジムラ ミサオ

明治期の哲学青年 日光華厳の滝より投身自殺した一高生。



生年
明治19(1886)年7月

没年
明治36(1903)年5月22日

出生地
東京

経歴
明治35年第一高等学校に入学。翌36年5月「万有の真相は唯一言にして悉す、曰く不可解、我この恨を懐いて煩悶終に死を決す」の遺書・巌頭之感を日光華厳の滝上の樹幹に残して投身自殺した。その死は当時の知識青年たちに衝撃を与え、“人生不可解”は多くの哲学青年の合言葉ともなった。東洋史学者・那珂通世の甥で、級友に安倍能成らがいた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤村操」の解説

藤村操 ふじむら-みさお

1886-1903 明治時代の哲学青年。
明治19年7月生まれ。那珂通世(なか-みちよ)の甥(おい)。一高在学中の明治36年5月22日,日光華厳(けごん)の滝上の楢(なら)の木の幹に「巌頭(がんとう)之感」という一文をしるして投身自殺した。18歳。その死は社会に衝撃をあたえた。東京出身。
格言など】万有の真相は唯(ただ)一言にして悉(つく)す,曰(いわ)く「不可解」。我この恨(うらみ)を懐(いだ)いて煩悶(はんもん)終(つい)に死を決するに至る(「巌頭之感」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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