資生堂(読み)しせいどう

共同通信ニュース用語解説 「資生堂」の解説

資生堂

国内最大手の化粧品メーカー。「SHISEIDO」や「エリクシールブランドを展開する。国内事業は主要ブランドの新商品を中心に好調に推移しているが、中国や米国事業で苦戦。収益改善に向け、国内で早期退職者を募集したほか、中国では不採算店舗の閉鎖に取り組む。グローバル展開を強化していた魚谷雅彦うおたに・まさひこ会長最高経営責任者(CEO)は12月31日付で退任する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「資生堂」の意味・わかりやすい解説

資生堂(株)
しせいどう

最大手の化粧品メーカー。1872年(明治5)海軍病院薬局長を辞した福原有信(ゆうしん)(1848―1924)が東京・銀座に開業した資生堂薬局が始まり。1897年化粧水を発売して化粧品業へ進出。1915年(大正4)息子の信三が経営者となって以来、主力を化粧品へ転換し、23年には業界最初のボランタリー・チェーン・ストア制を採用して販売力の強化を図ると同時に、PR誌花椿(はなつばき)』を発刊して消費者を組織化した。現在、化粧品、ファインケミカルなどを製造、販売。

 資本金645億円(2008)、売上高7235億円(2008。連結ベース)。国内の4工場をはじめ、海外にさまざまな研究開発拠点をもつ。多数の関係会社があり、また海外にも広く知られ、欧米をはじめ数十か国に進出している。

[森 真澄]

『資生堂編・刊『資生堂百年史』(1972)』『小宮和行著『パリ発資生堂グローバル・ブランドへの挑戦』(1993・実業之日本社)』『島森路子著『銀座物語――福原義春と資生堂文化』(1996・毎日新聞社)』『浅利茂樹著『美粧の座標――資生堂大船工場物語』(2004・求竜堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「資生堂」の意味・わかりやすい解説

資生堂[株] (しせいどう)

日本の化粧品のトップ・メーカー。1872年(明治5)海軍病院薬局長を辞職した福原有信らが三精社を設立し,同社経営の日本初の民間洋風薬局資生堂を東京銀座に開店。88年日本初の練歯磨き福原衛生歯磨石鹼〉を,また97年の化粧水オイデルミンなどの発売により化粧品事業に進出した。1922年には個人企業から合資会社資生堂に改組,27年株式会社組織となった。1924年に制定された品質本位主義・共存共栄主義・消費者主義・堅実主義・徳義尊重主義の五大主義は同社の経営理念として今日まで受け継がれている。第2次大戦後,粉歯磨き製造から事業を再開,52年度からの売上倍増5ヵ年計画はその後の成長の土台となった。61年から化粧品販売でシーズン・キャンペーンを開始し商品イメージの浸透をはかるとともに,62年からはチェーン店に資生堂コーナーを設置し統一デザインを採用するなど需要喚起に努めた。その後クインテス(1970),ベネフィーク(1972),インウイ(1977)など製品ラインの充実に努めた。またエムジー5(1967),ブラバス(1969)などの男性化粧品にも進出している。近年はトイレタリー製品の拡充のほか,健康食品への進出など,美と健康の総合メーカーをめざしている。また,同社の広告宣伝は戦前より日本の広告デザイン界をリードし,小村雪岱,山名文夫らが宣伝部員としてそれに参画した。資本金645億円(2005年9月),売上高6398億円(2005年3月期)。
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百科事典マイペディア 「資生堂」の意味・わかりやすい解説

資生堂[株]【しせいどう】

国内首位,世界4位級の化粧品メーカー。1872年銀座に日本で初めての民間洋風薬局の資生堂薬局創業。1922年合資会社となり,1927年株式会社に改組。化粧品を中心にセッケン,歯磨などを生産,独自の販売チェーンで発展した。海外での生産・販売体制を確立し,中国や東南アジアを中心に60ヵ国以上で事業を展開,なかでも中国事業の拡大を最重視しており,専用化粧品の投入や販売網の整備などを加速している。トイレタリー事業を分社化。企業文化の充実へも力を入れ,文化施設の運営,学術芸術活動への支援などを行っている。また,《花椿》は企業PR誌の草分け。本社東京,工場鎌倉,掛川。2011年資本金645億円,2011年3月期売上高6707億円。売上構成(%)は,国内化粧品53,グローバル45,その他2。海外売上比率45%。
→関連項目石岡瑛子福原信三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「資生堂」の意味・わかりやすい解説

資生堂
しせいどう

化粧品業界のトップメーカー。明治5 (1872) 年東京銀座に個人創業した資生堂薬局を前身とし,1879年化粧品の製造を開始。 1923年チェーンストア制度を採用。 27年株式会社に改組して現社名となる。第1次問屋としての機能を果す直営販売会社制度を採用して,生産から販売まで一貫した経営を行なっており,すぐれた販売力をもっている。 37年資生堂花椿会を結成。 39年資生堂化学研究所設立。 59年美容学校開校,また資生堂商事などを設立し石鹸などトイレタリー製品の販売を担当させている。さらに 83年に食品事業部を,87年には医薬部を設置し,資生堂薬品を設立した。また,イタリア,アメリカなどにも進出している。 95年公取委の勧告を受け,価格体系および販売系統の見直しに着手した。売上構成比は,化粧品 69%,トイレタリー 25%,サロン・食品・医薬品ほか6%。年間売上高 6042億 9400万円 (連結。うち輸出1%) ,資本金 585億 3900万円,従業員数 3378名 (1999) 。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「資生堂」の解説

資生堂

正式社名「株式会社資生堂」。英文社名「Shiseido Company, Limited」。化学工業。明治5年(1872)前身の「資生堂薬局」創業。昭和2年(1927)設立。本社は東京都中央区銀座。化粧品会社。化粧品・化粧用具・トイレタリー製品などの製造・販売を行う。国内トップメーカーで世界的にも高シェア。医薬品も手がける。東京証券取引所第1部上場。証券コード4911。

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世界大百科事典(旧版)内の資生堂の言及

【白粉】より

…一方,軽粉のほうも梅毒の治療薬や虱(しらみ)取り薬として市販されていたが,これも52年を最後に製造業者が廃業したため,市場にはまったく見られなくなった。 なお,白粉はその名のとおり白い顔料であったが,江戸時代末期から紅入り白粉が現れ,明治に入って砥の粉(とのこ)白粉,肉色白粉というように有色白粉が現れ,さらに1917年資生堂が〈白,黄,肉黄,ばら,牡丹,緑,紫〉の〈七色粉白粉〉を発売して以来,多色白粉になった。現在の白粉はタルク(滑石末),カオリン(白陶土),亜鉛華,酸化チタン,金属セッケン,炭酸カルシウム,デンプンなどが主成分である。…

※「資生堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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