辺野古移設問題(読み)へのこいせつもんだい

百科事典マイペディア 「辺野古移設問題」の意味・わかりやすい解説

辺野古移設問題【へのこいせつもんだい】

沖縄県宜野湾市普天間アメリカ軍海兵隊基地の機能の一部を名護市辺野古に移設する問題。普天間基地は住宅密集地で文教地区に隣接し世界でもっとも危険な基地といわれ,実際,2004年8月に沖縄国際大学の敷地に米軍ヘリコプターが墜落する事件が起こっている。1995年米兵の少女暴行事件をきっかけに,沖縄県全体で起こった基地反対運動のなかで日米両政府は沖縄駐留軍全体の見直しを求められ,1996年3月両政府は5〜7年以内に返還することで合意。県内にヘリポートを含む代替施設を建設することが条件とされた。普天間基地の移設候補地として名護市キャンプ・シュワブの辺野古沖が浮上した。1998年の名護市長選で移設容認派の市長が当選,2002年には県・市ともに辺野古沖合の基地建設計画を受け入れた。日米両政府は基地移転の最終的なロードマップ策定を進め,2006年辺野古沿岸に2本のV字型滑走路を持つ海上基地を建設すること,約8000人の海兵隊員をグアム基地に移すことで合意に達した。しかし,2009年鳩山由紀夫内閣は普天間基地移転問題の経過を検証することを提起し,鳩山首相は県外・国外移転案も含めて再検討すると表明,米国政府や自治体との折衝を始めたが,米国はまったく譲歩をみせず,結局これまでの日米合意に戻った。この経過は,首相表明に大きな期待を寄せた沖縄県民に失望感を残すこととなった。しかし,県内移転には現地に強い反対があり同意を得ることは至難で,また普天間基地そのものの危険性は依然として変わらず,菅直人内閣野田佳彦内閣と続く民主党連立政権でも解決からはほど遠い状態が続いた。2013年3月第二次安倍晋三内閣は米国政府と沖縄の米軍基地の部分的な返還計画をまとめたが,普天間の返還は従来通り名護市辺野古への移設が前提,とされた。2013年安倍首相は仲井真知事と会談,基地負担軽減策を提示し仲井真知事はこれを高く評価して名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を表明,県として辺野古移設を承認した。民主党政権では辺野古移設に反対して県外移設を主張していた仲井真知事が,安倍政権で姿勢を一転させるかたちとなった。他方,2014年の名護市長選では移設反対派が勝利。2014年8月に沖縄防衛局は埋め立て工事の区域を示すブイを設置するための作業に着手し,海底を掘削して地質を確認するボーリング調査を開始した。2014年8月の県民世論調査では辺野古基地移設に反対が80.2%で,賛成は19.8%。2014年11月に行われた沖縄県知事選では辺野古沖の埋め立て許可を撤回する表明をしていた翁長雄志が当選。得票率は51.6%で37.3%だった次点の現職仲井真に大差をつけた。2015年3月ボーリング調査のためのコンクリートブロック投下により珊瑚礁の岩礁が破壊されているとして,翁長知事は沖縄防衛局に調査作業の停止を指示,国と徹底的に争う姿勢を鮮明にしている。→沖縄基地問題普天間基地問題

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