自衛隊の人件費や装備品の購入費など防衛に関する国の経費。在日米軍の再編関連経費も含む。近年は5兆円台だったが、岸田内閣は2022年12月、23~27年度の5年間に計約43兆円を投じ防衛力を抜本的に強化する方針を決定。23年度は22年度当初から26%増の6兆8219億円、24年度は7兆9496億円と大幅に増額された。27年度には防衛関連の研究開発と公共インフラ整備、サイバー、国際協力の4経費と合わせ、国内総生産(GDP)比2%とする目標も掲げる。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
日本の歳出予算において、国防費ないし軍事費に該当する項目。正しくは「防衛関係費」という。第二次世界大戦後、この種の経費は終戦処理費を残すのみとなっていたが、1950年(昭和25)の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)により、連合国最高司令部(GHQ)の指令に基づいて警察予備隊が創設され、事実上復活した。予算上、防衛関係費として統括されるようになったのは1955年度からである。
2021年度(令和3)の防衛関係費(当初予算)は5兆3422億円であり9年連続で増加している。一般会計歳出総額(当初予算)の5.01%で、対GDP比は1%程度となっている。
2020年度で国際比較すると、同年度の国防費支出額ではアメリカ6896億ドル、中国3018億ドル、ロシア1360億ドル、フランス622億ドル、ドイツ605億ドル、韓国577億ドル、イギリス558億ドル、オーストラリア298億ドルであり、日本の防衛費490億ドルは、主要国9か国中第8位となっている(『防衛白書』令和3年版より)。
1955年度以降、現在に至る防衛関係費の歴史は、1989年末に行われたブッシュとゴルバチョフによる米ソ首脳会談の冷戦終結宣言を境に、大きく二つに分けられる。冷戦下の前半にあたる1957~1976年度には、1957年の「国防の基本方針」(閣議決定)に基づいて4次(各5か年)にわたる「防衛力整備計画」が実施された。これらの計画では専守防衛の防衛力の量的増強を目的としていた。冷戦下の後半にあたる1977~1990年度(平成2)には、まず1976年10月に「防衛計画の大綱」(国防会議および閣議決定)が策定された。これは平時から保有しておくべき防衛力の水準などを具体的に示したもので、陸上自衛隊定数18万人(12個師団、2個混成団)、戦車約1200両、自走砲約1000門/両、海上自衛隊護衛艦約60隻、潜水艦16隻、航空機約220機、航空自衛隊航空機約430機(うち戦闘機約350機)などである。また同年11月には三木内閣の国防会議および閣議決定によって、当面、「各年度の防衛関係費総額は、その年度のGNPの1%を超えないものとする(GNP1%枠)」とされた。この1%枠は1986年まで守られた。しかし日本経済はオイル・ショック後、安定成長期に入り厳しい財政事情のもと、目標とする「大綱」の水準にはなかなか到達できない状況にあったため、1985年9月に1986~1990年度を対象とする「中期防衛力整備計画」(第一次)が策定された。これは「大綱」に定められた防衛力の水準を当期間内に達成することを目標とし、総額約18兆4000億円(1985年度価格)を充当しようとするものであった。
なおこの間1978年には、当時のアメリカ経済が不況とインフレ(スタグフレーション)によって財政赤字が増大していたことを思いやり、アメリカ側の負担であった在日米軍基地の日本人従業員の労務費等の一部62億円を肩代りすることにした。いわゆる「思いやり予算」である。この肩代りは、アメリカ経済がその後好転したにもかかわらず継続され、内容の変更はあったが、2021年度当初予算では2017億円、防衛関係費の3.8%を占めている。
冷戦終結後の国際情勢は大きく変化し、世界的に軍縮と核装備削減へと向かう。日本でも1991~1995年度を対象とする「中期防衛力整備計画」(第二次)を経て、1995年には「防衛計画の大綱」(安全保障会議および閣議決定)が策定され、自衛隊が保有すべき兵力の目標および編成を改めて具体的に示した。それは、陸上自衛隊定数16万人(8個師団・6個旅団)、戦車約900両、自走砲約900門/両、海上自衛隊護衛艦約50隻、潜水艦16隻、航空機約170機、航空自衛隊航空機約400機(うち戦闘機約300機)などであり、1976年に策定された前の大綱に比べると、目標値の縮小と装備性能の向上がみられる。この新大綱の目標に向けて、1996~2000年度(平成12)対象の「中期防衛力整備計画」(第三次)、2001~2005年度対象の「中期防衛力整備計画」(第四次)が策定された。
2004年には、「新防衛計画の大綱」(安全保障会議および閣議決定)が策定された。そこでは、10年後までを念頭において、自衛隊が保有すべき目標と編成が示されている。それは、陸上自衛隊定数15万5000人(8個師団・6個旅団)、戦車約600両、自走砲約600門/両、海上自衛隊護衛艦約47隻、潜水艦16隻、航空機約150機、航空自衛隊航空機約350機(うち戦闘機約260機)などであり、1976年および1995年に策定された二つの大綱に比べると、目標値の縮小と質的向上がみられる。同年12月に、この新大綱に従い、2005~2009年度対象の「中期防衛力整備計画」(第五次)が策定された。これに伴い、2001~2005年度対象の「中期防衛力整備計画」(第四次)は、2004年度限りで廃止された。2008年12月には、新中期防衛力整備計画の見直しが行われた。その後、2010年および2013年に策定された二つの大綱を経て、2018年には「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱について」(国家安全保障会議および閣議決定)が策定され、厳しさと不確実性を増す安全保障環境を踏まえ、真に実効的な防衛力として、多次元統合防衛力を構築することとしている。そこでは宇宙、サイバー、電磁波といった新たな領域を含むすべての領域における能力を有機的に融合し多次元統合防衛力の構築に向け、防衛力の大幅な強化を行うとしている。
この間特筆すべき項目の第一は、自衛隊の海外派遣である。1992年「国連平和維持活動協力法」(PKO協力法)の成立により、停戦後の紛争地域に、アンゴラ(1992年)、カンボジア(1992年)、モザンビーク(1993年)、ルワンダ(1994年)、ゴラン高原(1996年以降)、東チモール(1999~2002年)へと自衛隊が派遣された。また2001年の「テロ対策特別措置法」によって、同年11月、第二次世界大戦後初めて、戦争状態のアラビア海に米軍後方支援として自衛艦3隻が派遣された。
第二は、1998年8月北朝鮮から日本海に向けて戦域ミサイル・テポドン1号が発射されたことである。これを機として1999年、アメリカの「戦域ミサイル防衛(TMD)共同研究」に日本も参加することになった。しかしこれに対しては時代錯誤との声がある。
第三は沖縄基地問題である。米兵の暴行事件が多発する沖縄では基地反対運動が高まり、1996年4月普天間(ふてんま)飛行場全面返還に日米が合意し、以後その代替地の辺野古(へのこ)移設をめぐって政府と沖縄県で対立が続いている。
第四は、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化していることである。アメリカの9・11テロ(アメリカ同時多発テロ)にみられたような国際テロ組織等の活動や、大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展が、新たな脅威となってきた。国家間における軍事的対立を中心とした問題だけではなく、このような新たな脅威を抑止することが、日本の平和と安全にとって重要となっている。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
『防衛庁編『防衛白書』各年版(財務省印刷局)』
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