出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都千代田区南部、皇居南の桜田門から虎ノ門(とらのもん)一帯にかけての地区。古代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷(えみし)に備えて、大和(やまと)からはるか雲霞(うんか)を隔てたこの地に関所を設けたためにこの称があるという。山手(やまのて)台地にあり、江戸城に接し、城を守ることから、黒田氏、浅野氏ら20以上の諸大名の屋敷地となった。明治以後は、この広大な屋敷地が軍用地として利用された。関東大震災(1923)以後は中央官庁街として計画され、官庁の一つ外務省のあることから霞が関は外務省の代名詞に用いられるようになった。第二次世界大戦後は高層建築に建て直され、桜田通り(国道1号)のマロニエの並木樹とともに美観を呈している。文部科学省隣の霞が関ビルは日本最初の超高層ビルである。なお、検察庁など司法関係の官庁の地は、かつての大岡越前守(えちぜんのかみ)の邸跡である。霞が関の東に日比谷公園(ひびやこうえん)、西に国会議事堂がある。東京地下鉄丸ノ内線、千代田線、日比谷線が通る(駅名は霞ケ関)。
[沢田 清]
東京都千代田区南部の地名。現在は桜田門から虎ノ門に至る通りの両側の中央官庁街をさすが,古くは付近一帯の呼称であった。江戸築城後,浅野,黒田,上杉家など大名の上屋敷がこの付近に集中していた。1872年(明治5)に都心部で大火があった後,外務省,海軍省など新政府の諸官庁がここに新たに設置され,続いて内務省,司法省,警視庁,大審院などができ,第2次世界大戦前にはこの一帯に中央行政府がそろった。戦後,中央官庁の機構改革を経て現在の霞が関には労働省を除くすべての本省のほか,人事院,科学技術庁,海上保安庁などが集まっている。また東京高等裁判所,同地方裁判所,同家庭裁判所もあるが,最高裁判所(旧大審院)は三宅坂近くの隼町へ移転した。なお1968年完成の三井霞が関ビル(36階)は日本で最初の超高層ビルである。霞が関の西にある永田町には国会議事堂,国立国会図書館,首相官邸,総理府の本府のほか自民党,民主党,社会民主党の本部もあり,霞が関の行政中心に対して政治中心の地区が形成されている。ただし行政町名の霞が関,永田町一帯を合わせて霞が関と呼ぶこともあり,外務省の別名ともなっている。
執筆者:正井 泰夫
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