いかなる種類の軍事同盟や軍事ブロックにも参加せず、外国軍隊の駐留や外国の軍事基地の設置も認めず、紛争の拡大を防止し、平和と安全の強化に努力する外交上の主義をいう。これに基づく外交路線は非同盟政策であり、この政策を基本的に採用する諸国は非同盟諸国である。非同盟諸国によって形成される政治勢力を第三勢力、このような勢力によって占められている地域を第三地域とよぶこともある。非同盟主義はもともと中立主義と共通するところが多いが、一般に中立主義が紛争や戦争に対する消極的不介入の要素が強いのに対し、非同盟主義は東西軍事ブロックからの自由な地位を保ち、積極的に平和の維持を図ることを強調するとともに、反帝国主義、反植民地主義を追求することを実体的に内包する。むしろ第二次世界大戦後は後者の要素が強く、人民自決権、植民地・人種差別体制の終結、新国際経済秩序の樹立、が結束の機軸をなしている感がある。
非同盟主義はインドの首相であったネルーの外交理念に起源を発する。彼は早くもインド独立以前の1946年に「互いに対立する同盟グループの権力政治から離れて」「独立した人々の自由の原則を固守し」「搾取のない国際協力に努力する」ことを外交方針として掲げた。この考え方は55年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)にも大きな影響を与えた。61年には最初の非同盟諸国会議がベオグラードで開催され、非同盟主義は一大勢力となったことを誇示したが、初期の立役者はネルーのほか、エジプトのナセル、旧ユーゴスラビアのチトー、インドネシアのスカルノ、ガーナのエンクルマなどの指導者たちであった。
初期には25か国を数えるにすぎなかった非同盟諸国も、1998年のダーバン会議では113か国に達するに至った。それとともに、内部に中立派、親米派、親ロ派、あるいは急進派、穏健派、保守派、さらに産油国、極貧国など多様な諸国を含み、経済的困難から先進国への依存度がかえって増大し、中立性の維持が危うくなる国が生じるというような問題、イラン・イラク戦争のような非同盟内部の深刻な対立の問題などに当面するようになり、つねに一枚岩の団結を示すことにはなっていない。しかし、先進大国に対して、新秩序の樹立を要求していくには、これら諸国の団結が必要であるとの共通認識に基づく結束が存在することは確かであり、非同盟主義が国際政治にインパクトを与え続けてきたことは確かである。しかし冷戦の終結以来、新たな統合原理を求め、1992年のジャカルタで行われた非同盟諸国会議は、「政治から経済へ」の路線転換をみせ、「南南」および「南北」の経済協力に運動の生き残りをみいだそうとする動向を示した。
[石本泰雄]
『日本国際問題研究所編『中立主義の研究』上下(1961・日本国際問題研究所)』▽『岡倉古志郎編『非同盟・中立』(1977・新日本出版社)』▽『土生長穂著『戦後世界政治と非同盟』(1980・大月書店)』▽『奥野保男「非同盟運動とアフリカ」(小田英郎編『アフリカの政治と国際関係』所収・1991・勁草書房)』▽『岡倉古志郎著『非同盟研究序説』増補版(1999・新日本出版社)』
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…永久中立ともいう。永世中立に類似した概念として,中立および中立主義または非同盟主義がある。国際法上中立とは,他の国家間の戦争状態を前提として交戦国との関係においてのみ成立する法的地位であるのに対し,中立主義は,国際間で多少とも持続的に中立的外交政策をとる立場一般を指し,中立政策とほぼ同義である。…
※「非同盟主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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