領土や領空のように、一国の主権が及ぶ海域。国連海洋法条約の規定では沿岸から12カイリ(約22キロ)の範囲。天然資源の探査や開発、管理などが認められる排他的経済水域(EEZ)は200カイリ(約370キロ)以内。国連海洋法条約は、人工島や構造物は「島の地位」がないとして、周辺を領海とは認めていない。同条約は「海の憲法」とされ、日本や中国は96年に批准しているが、米国は批准していない。(共同)
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海岸に沿って一定の幅をもつ帯状の海域であって、領海の上空および海底を含めて沿岸国の領域の一部とされる海域をいう。領海の限界は、海岸からの距離によって決定されるが、この範囲を測定するための起算点の位置を領海の基線といい、基線から外側の限界までの距離を領海の幅という。基線より陸地側にある水域を内水とよび、領海とは区別されている。
[高林秀雄]
平坦(へいたん)な海岸では、沿岸国の海図に示された海岸の低潮線が基線になる。海岸線が非常に曲折していたり、すぐ近くに海岸に沿って一連の島が縁どっているような場所では、基線を引くに当たって、適当な地点間を結ぶ直線基線の方法を用いることができる。直線基線は海岸の全般的な方向から著しく離れて引いてはならない。基線の引き方によって領海の範囲が異なることになるが、いずれの基線を用いるかは、沿岸国が主権にもとづいて決定することができる。湾口が24海里以下の明白な湾入である湾の場合には、入口を結ぶ閉鎖線が基線になる。港の場合には、もっとも外側にある恒久的な港湾工作物が、また河川の場合には河口に引いた直線が基線になる。なお、1982年の国連海洋法条約では、大洋中に散在する群島だけから構成される国家を群島国家と規定して、群島のもっとも外側にある島相互を結ぶ直線をもって群島基線とし、群島国家の領海は、この群島基線から外側に向かって測ることを定めた。もっとも、群島基線の内側に囲まれる水域を群島水域とよんで、群島国家の領水の一部ではあるが内水とは異なる独自の法的地位をもつ水域とした。
[高林秀雄]
これまで領海の幅について明瞭(めいりょう)な規則は存在しなかった。領海の幅を国際的に決定するために、1930年のハーグ法典化会議、1958年の第一次海洋法会議、1960年の第二次海洋法会議と三度の国際会議が開催されたけれども、いずれも失敗に終わった。これは、領海の幅の決定をめぐって、漁業上の利害と海上交通上の利害が対立したからであった。そこで、1982年に第三次海洋法会議が採択した国連海洋法条約では、領海の外側に距岸200海里の排他的経済水域を設立すること、および、すべての国の船舶と航空機が国際海峡において通過通航権をもつことを条件にして、沿岸国は基線から測って12海里を超えない範囲で領海の幅を決定する権利をもつという規則を作成することに成功した。ここに、国際法史上に初めて領海の幅に関する規則が成立したのである。なお、2国間で海岸が向かい合っている場合または隣接している場合には、いずれの国も、別段の合意がない限り、両国の基線から測って等距離になる中間線を超えて、その領海を拡張することができないことになっている。
[高林秀雄]
領海は国家領域の一部であるが、すべての国の船舶が領海内を無害通航することができる。これは、国際交通の利益のために、領海をもつすべての国に課された領域権の制限なのである。無害通航というのは、沿岸国の平和、秩序または安全を害しない通航のことである。また、領海のなかでも国際海峡に該当する部分においては、すべての国の船舶と航空機は妨げられない通過通航権を行使することができる。通過通航とは、継続的で迅速な通過の目的のために航行と上空飛行の自由を行使することをいう。
[高林秀雄]
『高林秀雄著『領海制度の研究』第3版(1987・有信堂高文社)』▽『山本草二著『海洋法』(1992・三省堂)』
海岸に沿った一定の幅の帯状の海域で,沿岸国の領域の一部を構成し,その主権(領域権)に服するものをいう。すなわち,国家は領海において,排他的に漁業活動を行い,関税,出入国管理,衛生などの警察権を行使し,防衛または安全のための措置を自由にとることができる。しかし,一般国際法に基づく制限として,領海においては外国の船舶に無害通航権を認めなければならない。この点で,領海は内水とは区別される。領海の上空は領空としての地位をもつ。
領海の範囲は,海岸からの距離によって決定される。この領海の範囲を測定するための起算点となる線を基線という。基線は,通常は,沿岸国の海図上の低潮線であるが,直線基線が認められる場合もある。この基線から領海の外側の限界線までの距離が領海の幅であり,どこをとってもつねに等しい距離(たとえば12カイリ)である。基線より内側の水域が内水である。
領海の外側に境を接するのが公海であるが,領海が沿岸国の排他的支配に服するのに対し,公海はすべての国の自由な使用に開放されており,その法的性格をはっきりと異にする。この領海(狭い沿岸海)対公海(広い外海)という海洋の二元的構造が,ごく最近までの伝統的な海洋法制度の根幹をなしていた。
領海の幅に関しては,各国の漁業や軍事上の利害が対立して,長い間不統一であった。18世紀の初めオランダのバインケルスフークが沿岸からの大砲の着弾距離をもって領海の範囲とする説(着弾距離説)を唱えた。18世紀末には,当時大砲の射程距離の極限値と考えられていた3カイリを領海の幅とすることが主張された(3カイリ説)。19世紀には,イギリス,アメリカなどの主要な海洋国がこれに従い3カイリ説が最も有力であったが,それでも,領海3カイリが一致した慣行となることはなかった。
20世紀に入ると,1930年の国際法典編纂会議,第1次(1958),第2次(1960)の海洋法会議においても,領海の幅を統一することにはいずれも失敗した。1960年の会議には,領海につき3カイリ,6カイリではもはや問題とならず,6カイリの領海プラス漁業水域6カイリまでという提案と領海12カイリ案が最後まで激しく争ったのである。
その後領海の幅12カイリを認める国がしだいに増加し,73年から開催された第3次海洋法会議においては,12カイリの範囲内で領海の幅を定めることができるとする考え方が大勢を占めるに至った。結局,会議においては,領海の外側に距岸200カイリの排他的経済水域を新設することと,国際海峡の通過通航権の制度を新たに設けることを条件として,領海の幅を最大限12カイリとすることで合意が成立した(領海の幅の統一という海洋法における多年にわたる問題の解決が,皮肉にも,公海対領海というこれまでの海洋法の二元的構成を崩壊させる方向に実現したことが,論者によって指摘されている)。
これらの新たな制度はすべて82年の国連海洋法条約中に規定されたのであるが,領海12カイリの制度は,広範な国家間の合意と実行を通じて,条約とは別個に,きわめて短期間で慣習国際法の規則となったといえる。日本も,1977年に〈領海法〉を公布して,領海の幅をそれまでの3カイリから12カイリに拡大した。さらに,96年に国連海洋法条約を批准するに際して,〈領海法〉を改めて〈領海及び接続水域に関する法律〉とし,国連海洋法条約に従い,領海基線については従来の低潮線に加えて直線基線も採用できるものと定めた。そして同法に基づく政令によって現実に百数十ヵ所の海域において直線基線を適用して領海の範囲を拡張した。
→海洋法
執筆者:尾崎 重義
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…最近の海洋利用は質量ともに目覚ましいものがあるが,それを反映して海洋法の規制する範囲も多岐に及んでいる。すなわち,(1)公海,領海,排他的経済水域などの水域で構成される海洋秩序,(2)海洋や海峡における航行や上空飛行の問題,(3)生物資源や鉱物資源などの開発の問題,これに関連して大陸棚や深海底などの新たな法制度,(4)海洋汚染,海洋環境保護の問題,(5)海洋の科学的調査,海洋技術の開発と移転の問題などである。海洋法は,国際法のなかでも最も古い歴史をもつ分野であるが,〈海洋法Law of the Sea〉という言葉が用いられたのはごく最近である。…
…そして中世後期になると,おそらく倭寇の海上活動の影響を受けて,〈唐土・日本の潮境なるちくらが沖〉が,海上の境界とされるようになった。このような一種の領海の観念は,近現代のそれとは明確に異なるだろう。というのは,中世民衆にとって,海自体が境なのであり,海の向こうは鬼のすむ国なのであった。…
※「領海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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