出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
佐賀県南西部、有明(ありあけ)海に臨む市。1954年(昭和29)鹿島町、浜町と鹿島村、能古見(のごみ)村、古枝(ふるえだ)村の5か町村が合併して市制施行。1955年七浦(ななうら)村の大部を編入。JR長崎本線が通じ、国道207号、444号、498号が走る。鹿島の名は『延喜式(えんぎしき)』の「肥前国鹿嶋馬牧(ひぜんのくにかしまのうままき)」の記にみる。北部は塩田川、鹿島川などの下流低地や干拓地。その南方背後には、長崎県境の経ヶ岳(きょうがたけ)(1076メートル)を最高峰とする多良岳(たらだけ)火山群があり、放射状河谷などの発達する山間、山麓(さんろく)部が広がる。その山麓が海岸に迫る七浦地区では、JR線が海岸線に沿って走る。佐賀藩鍋島(なべしま)氏の支藩、鹿島鍋島氏2万石の本拠地。その館(やかた)は、文化(ぶんか)年間(1804~1818)、北鹿島常広(つねひろ)(古城(ふるしろ))の低地から、水害を避けて鹿島高津原(たかつばる)(城内)の低丘陵末端台地に移った。この付近が明治以後も藤津郡の中心地となり、市街地の発達をみた。
山間、山麓部では、近年、国営多良岳開拓建設事業によるミカン園の造成、多良岳横断林道の開設などが進み、前面の有明海ではノリ養殖などが行われている。製造業は零細な農林水産加工が多いが、薬品、窯業、船舶部品関係の工場なども立地する。祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は日本三大稲荷の一つで、広く遠近の信仰を集める。国指定重要文化財の蓮厳院(れんごんいん)仏像をはじめ、サクラの名所旭ヶ丘(あさひがおか)公園付近の県指定重要文化財の鹿島城大手門・赤門のほか、文化財、史跡に富む。音成(おとなし)、母ヶ浦(ほうがうら)の面浮立(めんぶりゅう)は県指定重要無形民俗文化財。酒造業の目だつ浜地区は、えびす祭りの「鮒市(ふないち)」でも知られる。浜中町八本木宿と浜庄津町浜金屋町の両地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。面積112.12平方キロメートル、人口2万7892(2020)。
[川崎 茂]
『『鹿島市史』上中下(1974・鹿島市)』▽『『鹿島市五十年のあゆみ 市制50周年記念誌』(2004・鹿島市)』
石川県北部、鹿島郡にあった旧町名(鹿島町(まち))。現在は鹿島郡中能登(なかのと)町の南東部を占める地域。1955年(昭和30)越路(こしじ)町と滝尾(たきお)、久江(くえ)、御祖(みおや)村が合併して改称。2005年(平成17)鹿島町は鹿島郡鳥屋(とりや)町、鹿西(ろくせい)町と合併し、中能登町となった。JR七尾線(ななおせん)、国道159号が通じる。邑知(おうち)潟地溝帯と宝達(ほうだつ)丘陵とにまたがり、東は富山県に接する。石動山(せきどうさん)(国指定史跡)には伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)と天平寺(てんぴょうじ)とがあり、能登修験(のとしゅげん)の中心で、古代、中世に栄えた。いまは能登半島国定公園に属し、ハイキングコースになっている。米作、合成繊維織物が主産業で、隣接の七尾市への通勤者も多い。北陸最大の円墳小田中親王(しんのう)塚がある。
[矢ヶ崎孝雄]
『『石川県鹿島町史 資料篇』(1966・鹿島町)』▽『『鹿島町史』全4巻(1982~1986・鹿島町)』
島根県北東部、八束郡(やつかぐん)にあった旧町名(鹿島町(ちょう))。現在は松江市の北部を占める地域。島根半島のほぼ中央部にある。旧鹿島町は、1956年(昭和31)恵曇(えとも)町と御津(みつ)、講武(こうぶ)、佐太(さだ)の3村が合併して成立。2005年(平成17)松江市と合併した。恵曇と御津地区は日本海に臨み、漁業を主体とし、松江市街地へ出かける鮮魚行商人も多い。缶詰などの水産加工業も行われる。多久(たく)川と佐陀(さだ)川(江戸時代開削の運河)流域は、佐太講武貝塚(国史跡)でも立証されるように古くからの農耕地帯で、古代条里制も施行された。現在も水田中心の農業が主。佐太神社はかつては出雲(いずも)大社と並ぶ古社で、国指定重要文化財の建造物や兜(かぶと)、重要無形民俗文化財の佐陀神能がある。神社近くには鹿島歴史民俗資料館がある。古浦(こうら)に海水浴場、輪谷(わだに)湾には中国電力の原子力発電所がある。
[小松 聰]
『『鹿島町誌』(1962・鹿島町)』▽『勝田勝年編『鹿島町史料』(1976・鹿島町)』
茨城県南東部、鹿島郡にあった旧町(鹿島町(まち))。現在は鹿嶋市の南部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)高松、豊津(とよつ)、豊郷(とよさと)、波野(なみの)の4村と合併。1995年(平成7)大野村(おおのむら)を編入して鹿嶋町と名称変更、市制施行して鹿嶋市となる。東側は鹿島灘(なだ)、西側は北浦に面し、北半部は標高40メートルの鹿島台地、南半部は低平な鹿島砂丘をなし、海洋性の温暖な気候をもつ。JR鹿島線、鹿島臨海鉄道、国道51号、124号が通じる。中心の宮中(きゅうちゅう)地区には、創建の古い鹿島神宮がある。皇室、武将、庶民の信仰を集め、鳥居前町が発達した。中世には源頼朝(よりとも)の保護が厚く、常陸大掾(ひたちだいじょう)氏の一族鹿島氏が鎌倉幕府の御家人(ごけにん)となりこの地を支配、近世は観光と信仰で繁栄した。しかし農漁業は振るわなかった。1960年以来鹿島開発の計画が進み、掘込み式の鹿島港の完成と世界最大級の高炉をもつ住友金属工業(現、日本製鉄)の製鉄所などができ、5064億円(1996)の製造品出荷額をもつ臨海工業地帯となった。海岸寄りの平井地区に情報通信研究機構(NICT)鹿島宇宙技術センターがある。水郷筑波(すいごうつくば)国定公園に含まれる。
[櫻井明俊]
『『鹿島町史』全3巻(1972~1981・鹿島町)』
鹿児島県薩摩郡(さつまぐん)にあった旧村名(鹿島村(むら))。現在は薩摩川内(せんだい)市の西部を占める一地区。2004年(平成16)川内市、樋脇(ひわき)町、入来(いりき)町、東郷(とうごう)町、祁答院(けどういん)町、里(さと)村、上甑(かみこしき)村、下甑(しもこしき)村と合併、薩摩川内市となる。旧村域は、東シナ海上に浮かぶ甑島(こしきじま)列島の下甑島の北部を占める。名称は北部にある鹿島神社による。本土の串木野(くしきの)港から定期航路がある。平地が少なく、とくに西海岸は断崖(だんがい)をなし、奇岩、洞窟(どうくつ)が多い。産業は沿岸漁業主体の水産業と観光である。鹿島断崖のなかの藺落浦(いおとしうら)はウミネコの繁殖南限地として有名であり、また、サンゴ礁の発達もみられる。
[田島康弘]
愛媛県松山市北部、北条(ほうじょう)港の西400メートルの海上にある小島。周囲1.5キロメートルの小島に標高114メートルの山があり、平地は少ない。新第三紀中新世の古い火山が硬い安山岩類の岩石を取り残し、侵食されて山地となったもので、底部は花崗(かこう)岩である。暖地性常緑照葉樹の原生林が繁茂し、野生ジカ(県指定天然記念物)が生息する。島を一周する遊歩道があり、鹿島神社、博物展示館、海水浴場などもある。鹿島神社の祭礼で催される「鹿島の櫂練り(かいねり)」は県指定無形民俗文化財。北条港から渡船がでる。
[深石一夫]
愛媛県南西部、宇和海にある小島。南宇和郡愛南(あいなん)町に属する。周囲6キロメートル、面積1.3平方キロメートル。足摺宇和海(あしずりうわかい)国立公園に含まれ、宇和海に広がるリアス海岸、多島海の景観美を代表する。白亜紀の砂岩、頁岩(けつがん)が互層をなし、東西の走向をもつので、これに沿う海食洞(鹿島の穴(うど))がある。サルやシカが生息し、藩政時代には狩猟場であった。自然環境がよく保存され、島の周囲は宇和海海域公園の指定を受けている。サンゴ礁、熱帯魚などがみられ、海中展望船による海底探索やスキューバダイビングが楽しめ、海水浴場やキャンプ場もある。1974年(昭和49)以降無人島化。西海半島の船越(ふなこし)、中泊(なかどまり)から夏季に定期船がある。
[深石一夫]
福島県浜通り北部、相馬郡(そうまぐん)にあった旧町名(鹿島町(まち))。現在は南相馬市鹿島区で、市の北部を占める地域。西は阿武隈(あぶくま)高地、東は太平洋に面する。旧鹿島町は、1898年(明治31)町制施行。1954年(昭和29)八沢(やざわ)、上真野(かみまの)、真野の3村と合併。2006年(平成18)原町(はらまち)市、小高(おだか)町と合併して南相馬市となった。JR常磐(じょうばん)線、国道6号(陸前浜街道)が通じ、中心の鹿島は浜街道の宿場町として発達。北部を東流する真野川南岸の真野古墳群(国史跡)のほか古墳時代の遺跡が多い。産業は米作中心の農業で、八沢浦干拓地は明治から昭和にかけて干拓された水田。ほかに畜産や漁業も行われる。県指定重要無形民俗文化財に日吉神社のお浜下りと手踊がある。
[原田 榮]
『『鹿島町誌』(1965・鹿島町)』
広島県南西部、倉橋島の南にある島。呉(くれ)市に属す。面積2.64平方キロメートル、人口455(2000)。広島県ではもっとも隔絶した島であったが、1977年(昭和52)倉橋島鹿老渡(かろうと)との間に340メートルの鹿島大橋が架設され、音戸(おんど)大橋を経由して本土と陸続きとなった。島民の大半は沿岸漁業や沖合漁業に従事する瀬戸内の典型的な漁村であるが、島の西側の斜面には段々畑がみられる。
[北川建次]
大手建設業、鹿島建設の通称。
[編集部]
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佐賀県南西部,有明海に面する市。1954年鹿島町,浜町,鹿島村,能古見村,古枝村が合体,人口3万0720(2010)。市域は,南方の長崎県境にある多良岳山系から北東の有明海に向けて放射状に流出する小河川の流域,塩田川,鹿島川の下流低地や干拓地に広がる。江戸時代は,佐賀藩の支藩鹿島藩鍋島氏2万石の本拠地であった。その城は,1807年(文化4)鹿島川北側の常広の低地から塩田川の水害を避けて,鹿島川南側の高津原(たかつばる)の低丘陵末端旭ヶ岡(城内)に移され,今日の中心市街地形成の端緒を開いた。海岸を走る長崎本線背後の山麓地帯にはミカン園が広がり,前面の有明海ではノリ養殖が行われる。製薬・製陶などの各種企業も立地する。平安末期の開創と伝えられる蓮厳(れんごん)院,農・商工・漁業神として広く信仰を集める祐徳稲荷神社があり,音成では面浮立(めんぶりゆう)(県無形民俗文化財)が行われる。浜町のえびす祭と鮒市,有明海の沖ノ島参り,郷土民芸の能古見人形なども知られる。ムツゴロウなど生息する有明海辺には干潟公園などがある。
執筆者:川崎 茂
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…人口6万0667(1995)。1995年鹿島町が大野村を編入して市制,鹿嶋市となる。東は鹿島灘,西は北浦に面する。…
…市域南部粟井地区は松山市のベッドタウン化している。北条港から約400mの海上に浮かぶ鹿(か)島は瀬戸内海国立公園に含まれる。斎灘上の安居(あい)島は江戸末期に風待港として繁栄した。…
…人口3684(1995)。宇和海南部に突出した半島部と鹿(か)島,横島などの島嶼(とうしよ)からなる。海岸線は屈曲に富んだリアス海岸で,中央には権現山(491m)があり,全域が急傾斜地となっている。…
…伊那谷から天竜川をばらで川下げされた榑木はここで陸揚げされ,駿府や江戸の需要に応じてさらに下流の掛塚までいかだ流しされた。中心集落は天竜材の集散地で製材工場が集まる二俣と,かつて天竜川舟運で栄えた鹿島で,現在は西鹿島に自動車部品,精密機械などの工場が進出している。茶とシイタケが栽培されるが,とくに天竜茶は銘茶として有名。…
…また7月中旬から8月上旬までの開花期は見事な景観を示す。 行政上,列島は北から薩摩郡里村,上甑村,鹿島村,下甑村の4ヵ村(総人口7926,1995年)に分かれるが,その地域区分は必ずしも島の区分と一致しない。里村は上甑島の東部を占め,上甑島の中央および西部と中甑島が上甑村であり,下甑島の大部分が下甑村であるが,その北部が鹿島村をつくる。…
※「鹿島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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