《アメリカの悲劇》(スタンバーグ)(読み)あめりかのひげき

世界大百科事典(旧版)内の《アメリカの悲劇》(スタンバーグ)の言及

【スタンバーグ】より

…その後,ギャング映画の先駆けとなった《暗黒街》で注目され,続いてアメリカのサイレント映画末期の代表作の一つ《紐育の波止場》(1929)をつくり,ひき続いてドイツへ出かけて,〈スクリーン・エロティカ〉の古典となったUFA(ウーフア)社のトーキー第1作《嘆きの天使》でディートリヒにめぐりあい,彼女を連れてハリウッドに帰り,画期的な音声処理を示した《モロッコ》(1930)をはじめ6本のディートリヒ主演映画をつくる。その間に原作者のT.ドライサーを激怒させたという《アメリカの悲劇》(1931)などを撮り,〈光と影の叙情詩人〉といわれ,カメラを画家の筆あるいは詩人のペンのように使うと評されたが,ディートリヒとのかかわりを〈ピグマリオンとガラティア〉の関係にたとえられ,作品よりも主演女優を美化する自己陶酔的な傾向が強いとの批判を受け,私生活のスキャンダルもからんで《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)を最後にディートリヒとのコンビが解消され,〈映画作家〉としての一つの時代を終える。その後ディートリヒの幻影を追い求めて華麗な〈官能的映像〉をよみがえらせた《上海ジェスチャー》(1941)のようなスタンバーグならではのメロドラマの傑作を生み出したものの興行的には不成功で,恵まれない末路をたどる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」