《エジプト誌》(読み)えじぷとし

世界大百科事典(旧版)内の《エジプト誌》の言及

【エジプト】より

…これに伴ってイスラム史におけるエジプトの独自な地位を評価しようとする動きが強まり,ファラオの時代をも視野に入れたエジプト年代記が執筆されるようになった。また,キンディーKindī(897‐961)に始まるエジプトの美点(ファダーイル)と地誌(ヒタト)の記述は,マクリージーにより〈エジプト誌〉として集大成された。エジプトに古くから伝わるグノーシス思想はズー・アンヌーンによってイスラム神秘主義の体系化に援用されたが,この時代になるとイスラム神秘主義はさらに土着的な展開を遂げ,タンターのアフマディー教団は聖者アフマド・アルバダウィーの生誕祭をコプト暦によって祝ったという。…

【エジプト学】より

… エジプト学の成立は,ナポレオンのエジプト遠征(1798‐99)を契機とする。遠征に同行した学者たちの調査記録《エジプト誌》全21巻(1809‐28)によって研究の基礎資料が集められ,遠征の際発見されたロゼッタ・ストーンを手がかりに,シャンポリオンによるヒエログリフ解読がなされた(1822)。通常この年をエジプト学成立の年とする。…

【博物学】より

…この両国は植民地獲得政策を背景に探検航海を繰り返し行い,その成果としてみごとな博物文献を出版している。とくにフランスは,ナポレオンが指揮した《エジプト誌》をはじめ,新種を記載した精密な図譜を刊行することを恒例とし,この集積が後に膨大な生物カタログの役割を果たすことになった。1780‐1830年ころまではフランス博物学の黄金期にあたる。…

※「《エジプト誌》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」