《オルディネ・ヌオーボ》(読み)おるでぃねぬおーぼ

世界大百科事典(旧版)内の《オルディネ・ヌオーボ》の言及

【グラムシ】より

…大学で言語学を学ぶかたわら,社会党に入党して社会主義諸新聞の編集にたずさわる。第1次大戦後,トリアッティ,タスカらと《オルディネ・ヌオーボ(新秩序)》誌を刊行して,トリノの労働者と共に工場評議会運動に取り組み,1920年4月のゼネスト,同年秋の工場占拠闘争を推進した。21年1月イタリア共産党の結成に参加,22年6月からコミンテルン執行委員としてモスクワ,次いでウィーンに滞在,この間ロシア女性ジュリアと結婚,2児の父親となった。…

※「《オルディネ・ヌオーボ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」