《ニヤーヤ・バールティカ》(読み)にやーやばーるてぃか

世界大百科事典(旧版)内の《ニヤーヤ・バールティカ》の言及

【ウッディヨータカラ】より

…生没年不詳。仏教論理学派から深刻な打撃を受けた,《ニヤーヤ・スートラ》以来の正統バラモン主義の論証学を守るため《ニヤーヤ・バールティカNyāya‐vārttika》を著した。バイシェーシカ学説に由来する6種の接触説を直接知論に導入,推理については証因の反省がその手段であると定義するなどして五分作法の再確立を図った。…

【ニヤーヤ学派】より

…4世紀中ごろに,バーツヤーヤナが現れ,この書に《ニヤーヤ・バーシャ》という注釈を施した。その後,ディグナーガをはじめとする仏教論理学派からの論難に答えて,ウッディヨータカラ(7世紀)が《ニヤーヤ・バールティカ》(《バーシャ》への注釈)を,バーチャスパティミシュラ(9世紀)が《ニヤーヤ・バールティカ・タートパリヤ・ティーカー》(《バールティカ》への注釈)を,ウダヤナ(10世紀)が《タートパリヤ・パリシュッディ》(《ティーカー》への注釈)を著した。こうした著作の中で,ニヤーヤ学派は,推理を表現する論証式としての五分作法(仏教論理学は三支作法を主張)を堅持し,また,知識論を整備し,術語の定義をより厳密なものに仕上げていった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」