世界大百科事典(旧版)内の《パリ交響曲集》の言及
【ハイドン】より
…こうした侯爵家における趣味の変質とともに,80年代に入って彼はむしろ邸外のために音楽を供給するようになる。そうしてパリからの注文に応えて書いた6曲のいわゆる《パリ交響曲集》や,スペインから依頼のあった管弦楽曲《十字架上のキリストの最後の七言》や,出版を目的としたと思われる弦楽四重奏曲集などが生まれる。侯爵の死によって永年の宮廷仕えから解放されたハイドンは,興行主ザロモンの招請に応えて,90年12月にロンドンへ向けて出発する。…
※「《パリ交響曲集》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」