世界大百科事典(旧版)内の《伊都内親王願文》の言及
【橘逸勢】より
…手迹見に在り〉とあり,特に隷書に秀でていたとされ,勅を奉じて平安宮内裏北面の安嘉(あんか),偉鑒(いかん),達智(たつち)の三門の額を書いたという。また《伊都内親王願文》《興福寺南円堂銅灯台扉銘》および《三十帖冊子》中の一部も彼の筆跡と伝える。《伊都内親王願文》は興福寺東院西堂の香灯読経料として,墾田ほかを寄進した際の内親王の願文であるが,江戸時代の初期に藤木敦直(1582‐1649)が逸勢の筆と称してから逸勢筆と伝えられるもので,特に根拠はない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」