《名高手毬諷実録》(読み)なにたかしまりうたじつろく

世界大百科事典(旧版)内の《名高手毬諷実録》の言及

【一心太助】より

…実録本《大久保武蔵鐙(あぶみ)》によって大久保政談にからんで登場,浅草茅町の穀商松前屋五郎兵衛の無実をはらす役割を果たした。1855年(安政2)7月江戸中村座初演の《名高手毬諷(なにたかしまりうた)実録》(3世桜田治助作)で4世市川小団次が太助ほか5役を演じ好評。ほかに83年1月初演《芽出柳緑翠松前(めだしやなぎみどりのまつまえ)》(河竹黙阿弥作),88年11月東京市村座初演《武蔵鐙誉大久保》(3世河竹新七作),1904年11月東京明治座初演《偽鍍金蓮華組上(まがいめつきれんげのくみあげ)》(竹柴其水作)などの後続作があり,いずれも太助は義俠心にとむ江戸っ子気質の性格として形象化された。…

【大久保彦左衛門】より

…歌舞伎でも,実録本・講釈をもとに,大岡政談と並称される数多くの〈大久保政談物〉が生まれ,古郡新左衛門,三輪五郎左衛門,遠雲四郎左衛門などの仮名で,伊賀越の仇討,黒田騒動,宇都宮騒動物などとも結びついて登場した。1794年(寛政6)1月大坂角の芝居《けいせい青陽(はるのとり)》(辰岡万作作)では宇都宮騒動を扱い,三輪五郎左衛門として,また1855年(安政2)7月江戸中村座《名高手毬諷実録(なにたかしまりうたじつろく)》(3世桜田治助作)では矢代騒動,鏡態院騒動などを混交させ,一心太助とともに大森彦七左衛門として活躍する。後者を訂正加筆したものが56年3月大坂中の芝居上演の《昔鐙文武功(むかしあぶみぶんぶのいさおし)》(清水賞七作)で,明治末まで上方で演じられた。…

※「《名高手毬諷実録》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」