世界大百科事典(旧版)内の《基督教の害毒》の言及
【加藤弘之】より
…90年帝国大学総長,貴族院議員に勅選,1906年帝国学士院初代院長,枢密顧問官に選ばれるなど,終始学界の重鎮の地位を保ち続けた。07年《吾国体と基督教》を刊行し,国体を擁護するとともに,キリスト教を攻撃し続け,それらを《基督教の害毒》(1911)として一書にまとめた。明六社系思想家のなかで,もっとも代表的な絶対主義官僚学者としての生涯を送った。…
※「《基督教の害毒》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」