世界大百科事典(旧版)内の《日本地質構造論》の言及
【原田豊吉】より
…83年帰国,地質調査所に入り,翌84年東京大学講師を兼ね,86年古生物学の教授となった。 1889年には《日本地質構造論》をドイツ語と日本語で出版し,日本地質学の創始者の一人,E.ナウマンの日本列島を一大弧状山脈とするフォッサマグナ説を批判して,日本列島は複数の弧状山脈が結合したものとした。ナウマンはこれに反論し,論争はしばらく続いた。…
※「《日本地質構造論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」