《朝顔日記》(読み)あさがおにっき

世界大百科事典(旧版)内の《朝顔日記》の言及

【生写朝顔話】より

…文化年間(1804‐18)に,山田案山子(近松徳三の別号)が,講釈師司馬芝叟(しばしばそう)の長話《蕣(あさがお)》をもとに竹本重太夫のために書いた浄瑠璃は,上演されずに終わった。1811年(文化8)に雨香園柳浪の挿絵入りの10編の読本《朝顔日記》が成立し,広く読み親しまれたので,その後大坂堀江市の側芝居で《生写蕣日記》と題し歌舞伎化した。次いで,上坂した2世沢村田之助が14年正月大坂の市川善太郎座(角の芝居)で奈河晴助作《けいせい筑紫(つくしのつまごと)》8幕を上演して好評を博した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」