《男と女のいる舗道》(読み)おとことおんなのいるほどう

世界大百科事典(旧版)内の《男と女のいる舗道》の言及

【ブルックス】より

…ハーバート・ブレノン監督《或る乞食の話》(1925)の端役で映画デビュー,〈ボブ・ヘア〉スタイルを売りものに〈フラッパー〉と呼ばれた当時のモダン・ガールを型どおりに演じつづけたのち(《百貨店》1926,《夜会服》1927,等々),ハワード・ホークス監督《港々に女あり》(1928),ウィリアム・A.ウェルマン監督《人生の乞食》(1928)で才能ある女優として認められる。しかし真価を示した代表作は,G.W.パプスト監督に招かれて出演したドイツ映画《パンドラの箱》《淪落の女の日記》(ともに1929)であり,とくに《パンドラの箱》(原作はドイツの劇作家フランク・ウェーデキントの連作戯曲《地霊》《パンドラの箱》)で演じた娼婦ルルによって世界的に注目を浴び,その後もルルはウェーデキントの原作よりもむしろこの映画によって伝説的な存在となり,のちにジャン・リュック・ゴダールは,彼の映画《男と女のいる舗道》(1962)でアンナ・カリーナが演じた娼婦ナナに,ルルのヘア・スタイルとメーキャップをさせたといわれる。ブルックス本人は,パプスト原案,ルネ・クレール脚本によるフランス映画《ミス・ヨーロッパ》(クレールが監督する予定だったがプロデューサーと折り合わず,イタリア人のアウグスト・ジェニナ監督作品になった)に出演したあとハリウッドに帰るが,作品に恵まれず,ナイトクラブのダンサーやセールスガールになるなど不遇の時代を送り,40年代後半から世間の目を避けて隠棲するうち,50年代半ばに《パンドラの箱》を中心にした旧作がヨーロッパとアメリカでリバイバル上映されたのを機に〈ルル・フィーバー〉が高まり,55年には〈シネマテーク・フランセーズ〉のアンリ・ラングロアが映画生誕60年記念展に〈不滅の女優〉としてブルックスの写真を飾り,またサラ・ベルナール主演の《ギーズ公の暗殺》(1908)がつくられてから50年後の記念の催しにも彼女を招待した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」