《翁》(読み)おきな

世界大百科事典(旧版)内の《翁》の言及

【狂言方】より

…能楽において,《翁》の三番叟(さんばそう)と風流(ふりゆう),能のアイ(間狂言),独立した劇としての狂言(間狂言と区別していうときは本狂言と称する)の演技を担当する演者のこと。シテ方,ワキ方,囃子方に対しての呼称。…

【式三番】より

…能役者と狂言役者が演ずるが,能でも狂言でもない別の種目で,構成・詩章・謡(うたい)・囃子・舞・面・装束など,すべての点で能・狂言とは異なる古風な様式をもつ。式三番という名称は,〈例式の三番の演目〉の意味で,《父尉(ちちのじよう)》《》《三番猿楽(さんばさるがく)》の3演目を指す。いずれも老体の神が祝言・祝舞(しゆうぶ)を行うもので,3者の間に直接の関係はないが,能や狂言と違ってこの中から演目を選ぶというのではなく,三番一組にして演ずるものである。…

【立合】より

…1429年(永享1),室町御所笠懸の馬場で行われた能は,観世元雅音阿弥(おんあみ)の座対宝生座と十二五郎座の立合能であった。多武峰(とうのみね)猿楽では参勤の大和猿楽各座が新作の演目を競い,また四座立合(相舞)の《翁》が演じられた。現在行われている《翁》の異式《弓矢ノ立合》《船ノ立合》は,シテ方3流の大夫,またはそれに準ずる役者が相舞するもので,地謡(じうたい)は3流の連吟で行われる。…

【能装束】より

… 能の先行芸能である散楽(さんがく),呪師猿楽(しゆしさるがく),田楽(でんがく)の装束が華美を競い,金銀で加飾された豪奢(ごうしや)なものであった事例が,平安末期から鎌倉初期にかけての記録に見えるが,観阿弥・世阿弥時代の能がその影響を受けた形跡はない。今日,能の演目中もっとも儀式性が高く,蜀江文錦(しよつこうもんにしき)に代表される《翁》の装束でさえ《申楽談儀(さるがくだんぎ)》には〈翁の装束,真実の晴の形(なり)は,定て別に口伝有べし。さのみてばてばしくはなかりし也。…

【摩多羅神】より

…比叡山をはじめ,法勝寺,多武峰(とうのみね)妙楽寺,日光輪王寺,出雲鰐淵寺など各地方の中心的天台寺院の常行堂の後戸(うしろど)にまつられた。その祭祀は,たとえば輪王寺の《常行堂故実双紙》によると,修正会と結合した常行三昧のなかで,この神を勧請して延年が行われ,七星をかたどる翁面を出し,古猿楽の姿を伝える種々の芸能が演ぜられた。平泉毛越寺常行堂には今もこうした延年が伝えられ,摩多羅神とおぼしい翁が登場して祝詞を唱える。…

※「《翁》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」