世界大百科事典(旧版)内の《花楓都模様》の言及
【菅専助】より
…80年(安永9)ころ,いったん引退して京都に居を移したが,このころ衰微の傾向にあった豊竹此吉座が,89年(寛政1)5月,5年ぶりで北堀江市の側に復帰したときに,再び筆をとって《博多織恋(はかたおりこいのおもに)》を書いた。しかし91年6月の《花楓都模様(はなもみじみやこもよう)》を最後に,以後はまったく筆をとっていない。現存の作品数33編,そのうち単独作10編,合作23編で,時代物,世話物の双方にわたっているが,世話物のほうを得意とし,また先行作を巧みに翻案,改作して当時の上演様式にふさわしい作品に作り上げた点に特色がある。…
※「《花楓都模様》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」