《貝おほひ》(読み)かいおおい

世界大百科事典(旧版)内の《貝おほひ》の言及

【句合】より

…1656年(明暦2)の季吟判《俳諧合》が版本として最も古いが,発生は寛永(1624‐44)ごろまでさかのぼりうるかもしれない。貞門の立圃(りゆうほ),季吟らに多く,有名な芭蕉の《貝おほひ》(1672成立)も季吟の影響下に成った。談林ではふるわなかったが,蕉門では俳風の転換点で《田舎句合》《常盤屋句合》《蛙合》《罌粟(けし)合》等々が成立しており,重要視されていたことがわかる。…

【談林俳諧】より

…談林の時代は大体,寛文年間(1661‐73)の台頭期,延宝年間(1673‐81)の最盛期,天和年間(1681‐84)の衰退期の3期に分けられる。
[台頭期]
 貞徳の没後大坂・堺など地方俳壇の分派活動が目だち始め,俳書の刊行があいつぐなか,1671年には大坂の以仙(いせん)が《落花集》を編み,宗因の独吟千句を収めてこれに談林の教書的役割を果たさせ,翌72年には伊賀上野の一地方俳人宗房(そうぼう)(芭蕉)が,流行語や小唄の歌詞をふんだんに盛り込んだ句合(くあわせ)《貝おほひ》を制作。さらに翌73年には,世間から阿蘭陀流とののしられていた西鶴が,貞門の万句興行に対抗して,大坂生玉社頭に門人・知友を集め《生玉(いくたま)万句》を興行した。…

【芭蕉】より


[閲歴]
 10代末から俳諧に手をそめ,最初の入集は1664年(寛文4)。当時,藤堂藩伊賀付士大将家の嫡男藤堂蟬吟(せんぎん)(1642‐66)の連衆として季吟系の貞門俳諧に遊んだが,蟬吟の死で出仕の望みを失い,俳諧師を志し,72年宗房判の三十番句合《貝おほひ》を携えて江戸に下った。ただし,江戸に定住して活躍を始めたのは,74年(延宝2)に上京して北村季吟から《埋木(うもれぎ)》の伝授を受けた後と推定される。…

【奴俳諧】より

…奴俳諧は寛文期(1661‐73)を中心に流行,可徳編・定興判《ゑ入清十郎ついぜんやつこはいかい》(1667)をはじめ,立圃(りゆうほ),半井卜養(なからいぼくよう),ケ庵等の独吟歌仙が知られている。芭蕉の《貝おほひ》(1672)も奴ことばを多用する。【乾 裕幸】。…

※「《貝おほひ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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