《貴族に関する対話》(読み)きぞくにたいするたいわ

世界大百科事典(旧版)内の《貴族に関する対話》の言及

【パリーニ】より

…54年からはセルベローニ公爵家に個人教授として招かれる。文化の中心地ミラノにおけるこれらの経験を通じて,しだいにパリーニはアルカディア派の影響を脱し,当時ヨーロッパに広まっていた啓蒙主義に傾斜していくが,57年には,その最初の文学的表現として,散文詩《貴族に関する対話》を著した。この作品は,同じ墓地に埋葬された貴族と詩人の2人の死者が,貴族の特権をめぐって対話を重ねるうちに,人間の根源的な平等性を確認しあう結論に達するもので,その背景に流れる思想は,代表作《一日》に受け継がれていく。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」