ウスペンスキー聖堂(モスクワ)(読み)うすぺんすきーせいど

世界大百科事典(旧版)内のウスペンスキー聖堂(モスクワ)の言及

【クレムリン】より

…クレムリンが今日見られるような形になったのは,15世紀末から16世紀にかけてのことである。ロシア教会の総本山にあたるウスペンスキー聖堂,歴代大公および後のツァーリらの柩をおさめるアルハンゲリスキー聖堂,大公家の私有教会であるブラゴベシチェンスキー聖堂,外国の使者を接見し,祝宴を催すルネサンス風建築グラノビータヤ宮殿,〈大イワン(イワン・ベリーキー)〉と呼ばれる鐘楼もこの時期に建てられた。ツァーリ一家の居館(テレム宮殿)や総主教館は17世紀,武器庫(アルセナール)や元老院は18世紀,700の部屋をもつ大クレムリン宮殿は19世紀に建てられた。…

【モスクワ】より

…モスクワの市街,とりわけその都心部には,中世以降さまざまな時期の建造物と現代的な建築が混在して独特の景観を呈している。 20におよぶ塔と城門をそなえた厚い煉瓦造のクレムリンの城壁は,15世紀の末につくられたものであり,クレムリン内のウスペンスキー聖堂(15世紀)や赤の広場のワシーリー大聖堂(16世紀)をはじめネギ坊主形の屋根をもつ教会がまだ市内各所に保存されている。18世紀以後,富裕な貴族や商人の建てた古典主義スタイルやロマネスク様式の邸宅は現在,図書館や博物館などの公共施設に転用されており,他方クレムリンから北西にのびるトベリ通り(旧ゴーリキー大通り)や西に向かうノーブイ・アルバート通り(旧カリーニン通り)をはじめ目抜きの道路の両側にはホテル,アパートなどの近代的な高層建築がたち並んでいる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」