ウーファ[会社](読み)うーふぁ

世界大百科事典(旧版)内のウーファ[会社]の言及

【ドイツ映画】より

…それを機に映画の社会的評価が高まり,作家や演劇人たちが協力しはじめ,ドイツ映画は〈キーントップKientopp(活動)〉から〈キノKino(映画)〉,さらに〈フィルムクンストFilmkunst(映画芸術)〉への第1歩を踏みだして,第1次大戦を迎えた。
[黄金時代――ウーファ社の設立から表現主義映画へ]
 外国映画の輸入がとだえて自給自足しなければならなかったドイツ映画は,他のヨーロッパ諸国とは反対に,戦争によってかえって活性化し盛んになった。戦争宣伝の目的のために軍部や軍需工業トラストの積極的な支援を受けて,1917年12月,当時の有力な製作会社を合併したウーファUFA(Universum‐Film AG)が設立され,ドイツ映画を支配するとともに,その後のドイツ映画の方向を決定づけることになった。…

【トーキー映画】より

…この〈絶望的な冒険〉は,危機打開の対策として大成功し,はからずもトーキーは全世界に広まることとなったのである。 映画のトーキー化は,根本的な技術革新であったから,発声技術のパテント使用料,機械設備など莫大な投資が必要であり,そのため金融資本との結びつきによる映画資本の高度化を急激に促進し,映画の産業的構造を一変して,ウォール街が直接ハリウッドを支配することになった(なお,ドイツでも,映画に着目したルール地方の重工業資本がフーゲンベルク財団を通じてウーファ社を支配するという現象が起こっている)。 新しい〈音声の世界〉に適合できないスター(たとえば容姿端麗でも声の悪いスター)や監督たちは落の運命をたどり,またサイレント映画の体系を根本から書き改めなければならない一大革命であったため,演劇界から新しい人材が導入される半面,映画の初期に見られた〈舞台劇の缶詰化〉となることが危惧され,チャップリンやルネ・クレールのように,30年間にわたって開拓されてきたサイレント映画ならではの視覚芸術が破壊されることに反対する声も強かった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」