世界大百科事典(旧版)内のカバリエーレ・ダルピーノの言及
【バロック美術】より
…一般には,17世紀初頭にイタリアのローマで誕生しヨーロッパ,ラテン・アメリカ諸国に伝播した,反古典主義的な芸術様式をいう。 バロック(フランス語でbaroque,イタリア語でbarocco,ドイツ語でBarock,英語でbaroque)という語の由来については2説ある。一つはイタリア語起源説で,B.クローチェによると,中世の三段論法の型の一つにバロコbarocoと呼ぶものがあり,転じて16世紀には不合理な論法や思考をバロッコbaroccoと呼ぶようになった。…
【マニエリスム】より
…この時期(1580‐90)をもって〈プロト・バロック〉の台頭,マニエリスムの終末とされる。ただし,1620年代まで,ローマではF.ツッカロ,カバリエーレ・ダルピーノCavalier d’Arpino(1568‐1640)などのアカデミックなマニエリスト,フィレンツェではサンティ・ディ・ティートSanti di Tito(1536‐1603)やチゴーリCigoli(本名カルディLudovico Cardi。1559‐1613)などの,リアリズム的傾向と宗教性の強い〈改革派〉マニエリストが活躍した。…
※「カバリエーレ・ダルピーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」