世界大百科事典(旧版)内のバローネの反乱の言及
【フェランテ】より
…そのために膨大な財政支出を余儀なくされ,政情不安を招いた。1485年に有名な〈バローネの反乱〉が生じ苦境に立ったが,大貴族層の背後にいた教皇と和解して反乱を鎮圧すると,謀反人を次々に処刑した。フェランテの死後,フランスが王位を主張して強力な介入を行うようになり,ナポリ王国の独立は失われるにいたった。…
※「バローネの反乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」