パターソン,W.F.(読み)ぱたーそん

世界大百科事典(旧版)内のパターソン,W.F.の言及

【製本】より

… 三井家所蔵の元永本《古今和歌集》は,この種の装丁本では最も古いものであり,すでにこの様式は平安末期におこなわれたことが明らかであり,鎌倉中期以後の和歌・国文に関する書冊は,おおむねこの種の装丁法が用いられ,室町時代を経て江戸期にいたるまで,袋綴本とともにこの様式がつづいた。 日本に洋式の製本術が伝来したのは明治の初め,洋式の印刷術が移入され,洋紙の製法が伝えられたのと前後して,1873年5月,イギリス人W.F.パターソンが,印書局(いまの大蔵省印刷局)に製本教師として招かれ,製本・罫引(けいびき)術を伝授したのに始まる。その後,明治・大正・昭和と文運の進むにしたがい,印刷術の進歩,出版業の進展とともに,製本業も漸次家内工業から機械工業に進み,手工業からオートメーション化し,今日の隆盛をみるにいたった。…

【製本工】より

… 江戸時代になると,営利を目的とした書肆(しよし)(本屋)が発生するが,十返舎一九(じつぺんしやいつく)の草双紙(くさぞうし)《的中地本問屋(あたりやしたじほんどいや)》(1802)には,書肆の楽屋内を見せ,作者の原稿ができあがると,版木を彫り,刷り,丁合(ちようあい)をとり,中とじをし,まわりを化粧裁ちし,表紙をつけてとじる工程が挿絵入りで述べられていて,〈本をとじる〉のは女の仕事とされている。 日本の本格的な洋式製本術は,1873年(明治6)5月,カナダ人W.F.パターソンが印書局(今日の大蔵省印刷局)に製本教師として雇われ,多くの養成工に製本・罫引(けびき)術を伝授したことにはじまる。それ以後〈製本職〉は一個の職業として認められることになる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」