世界大百科事典(旧版)内のパリ凱旋門の言及
【エトアール凱旋門】より
…パリ市内西部のエトアール広場(シャルル・ド・ゴール広場)中央に建つ石造のモニュメント。アウステルリッツでの戦勝後,ナポレオンによって,当時パリ市の境界をかたちづくるエトアールの丘に構想される。旧徴税門を取り壊し,1806年にシャルグランJean‐François Chalgrin(1739‐1811)が設計開始。その後ナポレオン失脚により計画は大きく変わり,建築家も交代し,七月王政期の36年にようやく完成した。…
※「パリ凱旋門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」