七条院領(読み)しちじょういんりょう

世界大百科事典(旧版)内の七条院領の言及

【七条院】より

…1205年(元久2)出家し,真如智という。 後鳥羽との関係は親密で,後鳥羽はその最も愛する水無瀬殿をはじめ仁和寺殿,法華堂,山城上桂荘・河島荘ほか2荘,河内田原荘ほか2荘,摂津小松荘ほか3荘,伊勢野俣道荘ほか2荘,美濃弾正荘・鵜飼荘ほか1荘,越前織田荘ほか3荘,近江大国荘ほか1荘,和泉永吉荘,丹波田能荘,大和檜牧荘ほか2荘,遠江気賀荘,淡路菅原荘,周防束荷荘,肥後神倉荘ほか1荘,肥前植木荘等を七条院領としている。他の女院領と比べ最も遅れて成立したこの荘園群には,東国の荘園はほとんど見られない。…

【美濃国】より

…これらの皇室領荘園は,荘園群として女院(によいん)領,御願寺(ごがんじ)領というかたちで伝領された。後白河院によって12世紀末に創設された長講堂領に含まれる荘園には平田荘(鶉,革手,市俣,加納),蜂屋荘など,七条院領には鵜飼荘,弾正荘,美濃国分寺,八条院領には多芸荘,古橋荘など,歓喜光院領には久々利荘,鵜沼荘などがあり,その数は膨大なものであった。摂関家領は,現在25ないし26ヵ所が確認されており,これらの荘園のほとんどが摂関政治後期から院政初期に摂関家の支配下に入った。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」