中川屋嘉兵衛(読み)なかがわやかへえ

世界大百科事典(旧版)内の中川屋嘉兵衛の言及

【広告】より

…これらのうち,1867年(慶応3)にイギリス人牧師が横浜で発刊した《万国新聞紙》には,外国商品,売薬,医院などの広告や商船の出帆通知などが,主として外国人広告主によって掲載されていた。そのなかにまじって日本人による初めての広告がなされたのは,横浜の中川屋嘉兵衛によるパン,ビスケットなどの小売広告であった。明治に入ると,前記の《横浜毎日新聞》をはじめ,《東京日日新聞》(《毎日新聞》の前身),《読売新聞》,《中外物価新報》(のちに《中外商業新報》から《日本経済新聞》となる),《朝日新聞》などの日刊新聞が相次いで創刊され,宝丹(胃腸薬),岸田吟香発売の精錡水(せいきすい)(目薬)など商品広告が現れ,全ページ広告もみられるようになった。…

【新聞広告】より

…邦字新聞では,《横浜新聞》(1863)が,翻訳紹介のかたちで初めて広告を掲載した。さらに同じく横浜で発行されたイギリス人牧師B.M.ベーリーの《万国新聞紙》(1867)もニュースとともに外国人からの広告を載せ,この第3集に日本人最初の広告主,中川屋嘉兵衛の〈パン,ビスケット,ボットル〉の広告を掲載した。《万国新聞紙》は当時〈迷子,欠落,拾い物,盗まれ物及び読売物等すべて広く世に弘め〉と社告によって広告を募集しているが,まだ料金の定めがなかった。…

※「中川屋嘉兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」