中関白家(読み)なかのかんぱくけ

世界大百科事典(旧版)内の中関白家の言及

【藤原道隆】より

…さらに兼家が摂政となるや,1ヵ月のうちに非参議から権中納言を経て権大納言に進み,世人を驚かせた。990年(正暦1)父の没後をうけて摂政となり,ついで女の定子を一条天皇の皇后に立て,さらに摂政を辞して関白となり,いわゆる〈中関白家〉の全盛を謳歌した。995年疫病にかかるや,関白を長男の伊周(これちか)に譲ろうとしたが,勅許なく,同年4月10日に没した。…

※「中関白家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」