伊予俳諧(読み)いよはいかい

世界大百科事典(旧版)内の伊予俳諧の言及

【松山藩】より

…4代定直は文学愛好で知られ,みずから榎本其角,服部嵐雪らに教えを受け,元禄期(1688‐1704)に松山文化の発達を見る。江戸中期には栗田樗堂,百済魚文らにより,伊予俳諧の全盛を迎える。1732年(享保17)享保の飢饉は松山藩にも大被害を与え,種麦を枕に餓死した筒井村(現,伊予郡松前町)義農作兵衛の話が生まれた。…

※「伊予俳諧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」