何震(読み)かしん

世界大百科事典(旧版)内の何震の言及

【篆刻】より

… 明代の文彭(1498‐1573)は書画に巧みであったほか,兼ねて篆刻の名手であり,宋・元以来の曲がりくねった篆書を方正なものに改めて,刻印を芸術の域にまで高め,〈呉門派〉の領袖として近代文人篆刻を創始した。彼の弟子の何震(?‐1604)は刀法が蒼勁で師にまさり,石章篆刻を不動のものとし,〈徽派〉の始祖と称された。〈徽派〉には,梁袠(りようちつ),蘇宣,朱簡,江皜臣(こうこうしん),程朴,汪関など十数家が次々と輩出し,このころになると,文人の余技としてでなく,印人と称される印学に詳しく刻印を業とする専門の篆刻家があらわれ,彼らは多く安徽・浙江の両省に集中し作品は印譜にまとめられた。…

【劉師培】より

…《警鐘日報》発禁後,蕪湖に逃れ皖江(かんこう)中学で教鞭をとるかたわら,《白話報》を発刊した。07年初め日本に亡命,中国同盟会に加盟して機関誌《民報》に論陣を張ったが,孫文の革命方式に懐疑的となり無政府主義に傾斜し,同年6月ごろ妻の何震と《天義》を創刊した。〈人類均力説〉などユニークな論説を展開する一方,社会主義講習会,亜州和親会を組織して,日本の社会主義者とも交わり国際連帯を模索した。…

※「何震」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」